天狗(その2)



 昼間の仕事と違って夜勤では勝手にどこからか山伏のような格好をした天狗が入ってくる。

 夜勤の作業員達は大概、一度は天狗が歩いているのを見て驚く。誰もがその見慣れない天狗に恐怖感を抱くのだが、今まで天狗に危害を加えられたという話はまだ聞いたことがない。

 工場の壁には掲示板がありその上部には緑色の十字マークと「安全第一」と大きく書かれた旗が貼ってある。そこには安全や生産性向上のスローガン、各作業員の生産性のグラフと順位表等が掲示されている、

 そしてよく見ないと見逃してしまいそうな隅のほうに「天狗の対処法」と書かれた小さい紙切れが張ってある。僕が入社して初めてそれを見た時、何かの冗談だと思っていた。

 何年も前からその場所に張ってあるようで、元は白いコピー用紙だったと思われるが茶色に変色していて少々読みづらい。

 その対処法にはこう書かれている。

1. 天狗がそばを通ったときはじっと止まって気づかないフリをしていればそのまま通り過ぎる。

2. 天狗は人間を食う可能性がある。

3. 天狗を発見したときは速やかにその進路の妨げにならないところに身を隠す。

4. 運悪く天狗の目に止まって捕まってしまった場合は、食われる前に急所であるその鼻を掴むと天狗は小さくなってどこかへ消える。

 このような注意事項が書いてあるという事は過去に誰かが天狗に襲われたのではないのだろうか。会社の上司はそのことについて何も語ろうとしない。僕も入社した当時、会社の説明でその紙切れを読んでおくようにと言われただけである。昔からこの工場で働いている人間に聞いても、彼らは何も言わない。何かを隠しているのだろうか。事実は労災事故として闇から闇へと葬られているのかもしれない。

 僕はいつもの通り天狗には気が付かないふりをしていた。

 大抵、天狗はいつの間にかいなくなっている。今日もその存在を無視して仕事を続けていればいいだろう。

 そうやってしばらく僕が仕事を続けていると高下駄の音が隣のライン付近で止まった。そして機械の音に混ざって「バキバキ」という何か硬いものが砕かれている音がし始めた。そういえば隣のラインは新人が担当している。僕はそっと機械の間から隣を見た。

 「バキバキ」という音がするたびに赤い水滴が飛び散っている。

 隣の新人は食われているのだろうか。下を向いて何かをしている天狗の背中が見える。赤い水滴は明らかに血の飛沫である。今まで人間が食われていたのを見たことが無かったのだが、本当に人間を食っているようである。

 僕はとにかく自分に落ち着くように言い聞かせた。知らん振りをして天狗がどこかに消えるのを待つしかない。しかし天狗は僕の感情の動きを察したのか、不意に立ち上がり骨らしき物をくわえたままこちらを見た。

 しまった、天狗と目が合ってしまった。  

(2009.05.09)  

その1にもどる  つづく
作品topにもどる  
 © 2009 田中スコップ 路上のゴム手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送