天狗(最終話)



 天狗は面を被っているのではなく、本当に赤い顔をしている。その身長は近くの機械と比較してみて三メートル以上はあるだろう。普通の人間では考えられない大きさである。

 僕は天狗に睨み付けられて一瞬身動きが取れなくなってしまった。天狗は僕と目を合わせたまま工場の機械を乗り越えてこちらに向かってくる。

 逃げなければ食われる。

 恐怖にすくんでいる場合ではない。僕は工場の通路に出て走った。そして天狗が通路に出てくる前に脇にそれ、天狗が入り込めそうもない機械の隙間に逃げ込んだ。そしてそのまま僕は身を縮めて外の様子を窺いながら息を整えた。

 天狗の下駄の音がしない。

 どこかに行ったのかと思い、ホッとため息をついた瞬間、僕は後ろから襟を掴まれ機械の間から引きずり出された。隠れたはいいが天狗の腕の長さまで計算にいれてなかった。天狗は下駄を脱いで音もなく僕の背後に忍び寄っていたのだ。天狗は右手で僕の首を掴んで立ち上がり太く強靭な手を伸ばして僕をぶら下げた。僕は逃れようと抵抗したがどんなにあがいても手足がジタバタと動くだけで逃げられない。

 ああ僕も食われてしまうのか。

 天狗は僕を自分の口に近づけていった。暴れながら垣間見た天狗の顔は皮膚が真っ赤なゴムでコーティングされたような人工的なもののようだったが鼻の先には汗をかいていた。

 太く長い鼻の根本からイビキのような「グーグー」という呼吸音が聞こえる。その顔の面積は普通の人間の四倍以上はあり、眉間に皺をよせて僕のほうをギロリと睨みつけている。

 天狗が口を開けると中には三角に尖った歯がずらりと並んでいる。

 そして天狗はもう一方の手で僕の足首を掴み、ズボンの上からふくらはぎ辺りに噛み付いた。

「痛…」

 僕は自分の置かれた状況から痛いと思ったのだが、そう感じたのは噛み付かれた一瞬だけだった。

 不思議だ。夢を見ているのであろうか。なぜか全然痛くない。

 天狗が何らかの快感物質を出しているのだろうか。食われる事への幸福感すら感じる。交尾の際にメスに食われてしまうカマキリのオスの心境もこんなものかもしれない。僕の骨が「ベキベキ」と噛み砕かれている。ああ、食われる事がこんなにも気持ちのいい事だなんて思いもよらなかった。僕は体の力を抜き天狗のなすがままになっていた。

 そして何かの拍子で天狗の頭に僕の腕が近づいた時、思わず僕は天狗の長い鼻を掴んでしまった。

 その瞬間、天狗は身長三十センチぐらいに縮み、近くに投げてあった高下駄を引きずりながらチョコチョコとどこかに走り去って行った。

 僕は片足を食いちぎられたままその場に放り出され、出血とともに激しい痛みに襲われた。どうせなら全部食ってから立ち去ってくれ。僕は天狗の鼻を掴んでしまった事を薄れていく意識の中で後悔した。

…… 完 ……

(2009.05.17)  

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