「黙祷」 (その3)


 会場には各県ごとの旗が所々に立てられていて私は自分の県の旗が立てられている席に向かった。パイプ椅子はスペースの都合なのであろうかピッタリとくっつけて並べてある。一万人もむさくるしい男達が集まるのだから少しぐらいは隣との距離が欲しいものである。私は体の半分が自由になる端の席が多少楽になるのではないかと思った。

 あたりを見回すとまだ空席が多く、空いている端の席はすぐに見つかった。そして私が腰を下ろそうとした瞬間、中ほどの席に座っている知人がこちらに向かって手招きしているのに気がついた。

 彼は友達がいそうにない雰囲気の人で、私と同様一人でこの全国大会に来たのであろう。彼の視界の中で随一の知り合いが私だったのかもしれない。

 彼は同じ県内でどこかの支部長をしているようだ。地元の会合では時々会うのだが特に深い付き合いをしていない。それにお互い名乗ったことが無く実のところ名前も知らないのだ。一度名前を聞きそびれるとなかなか改めて名前を聞きづらい。目が合ってしまったので無視するわけにもいかず私はしかたなく彼に向かって歩いていった。

 彼の周りにはまだ十分に空席がありわざわざ隣に座るのは少し窮屈である。私はパンフレットやカバンをその人の隣の席にさりげなく置いて一つ空けて座った。受付だけを済ませてすでに会場の外へ遊びに行っている何をしにきたのかわからない連中もいるだろうからすべての席が埋まるということはないはずだ。一つぐらい荷物で席を占領しても誰も困らないであろう

 私が軽く挨拶をするとさっそく彼が何かこちらに話し始めた。話し好きな割には声が小さくはっきりとしゃべらないためいつもなにを言っているのかよくわからない。メガネのサイズが合わないためかずり落ちてくるメガネをしきりに上げている。

「……でね、……っちゃうよね。新幹線……から来たんだけど、意外と混んでない……」

 今日は特に会場の騒音にかき消されて彼の声が聞き取りにくい。しょうがないので適当に笑顔を取り繕って相槌を打っていた。そしてその調子で延々と一方通行の会話が続き、私は話の断片から彼がなにを話しているのか内容を類推するのに神経を使って少々疲れてきた。

 しかし彼はうんざりしている私の反応などお構いなしで独り言のようにブツブツと話し続けている。こんなことなら気づかないフリをして最初から端っこに座っておけばよかった。私と彼の間に誰か座ってくれないだろうか。

 開会の時間が近づいてきたがまだスタッフが慌しく動き回っている。会場内に散らばっていた客達は席につき始め、まわりの空席がほとんど埋まってきた。多少の空席ができるだろうという私の予想は外れたようだ。私の隣の席を荷物で占領しておくのは気が引ける。それに誰かが座って私と知人との間の遮蔽物になってくれたほうがいい。カバンやパンフレットを自分の膝の上に置いて隣の席を空けた。

 するとさっそく一人の男がやってきた。

「ここ、いいですか」

 私は声のするほうを見上げた。そこにはかなりの巨漢がこちらを見下ろしていた。一見して彼の太った体は椅子の幅よりは広く座ると体が席からはみ出してしまいそうだ。冬だと言うのに彼の艶々として脂ぎった額には汗が浮いている。そして整髪料の油っぽい匂いとタバコとガムの匂いが混ざって漂ってきた。

 遮蔽物としては最適の人物であるが席が窮屈になってしまう。私は嫌だと思いながら断る理由が見つからなかった。

「いいですよ」

 私がそう答えると男は軽く頭を下げて私の横に座った。その男が座るとパイプ椅子はギシッと音を立てた。重さで椅子が壊れそうだ。男はすまなそうに体を丸めて縮こまっているが席からはみ出した彼の膝は私の膝と接触して非常に暑苦しい。私もメタボリック対策の必要性を感じているので体格的には決して細いほうではない。反対に私も煩わしいと思われているだろう。私は少し尻を横にずらして接触した膝を離そうとしたが反対側にも既に客が座っているので身動きが取れない。

 大会の間中彼の圧力に耐えて体を縮めて座るしかないのだろうか。 
(2008.07.14)

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