「国道の車列」 (その3)


 ルームミラーで後方を見ると列に並ぶ自動車がさらに増えている。今度は携帯電話を持ち上げ目の前の道路と液晶画面が同時に見えるように構えた。そして落ち着いてボタンを押し始めた。暫くするとメールという表示が出た。そうかここを押せばいいのだな。私はメールの画面を開いた。

 時々前方も見る。まだ国道を自動車が流れている。携帯電話にまた目を向けた。ここからどうすればいいのだろう。

 不意に私の横の窓ガラスをコンコンと叩く音が聞こえた。

 その音は小さな音ではあるが予期せぬ人間の気配に驚いて私の背筋が伸びた。私は顔を窓のほうに向けた。ドアの向こうに一人の男が立っていて窓ごしにこちらを覗き込んでいる。その男は普段着ではあるが宝石が光る腕時計やペンダントを身に着けていて、景気が良さそうな風体をしている。

 バックミラーを見るとすぐ後ろの高級そうな外車のドアが開けっ放しになっている。きっとこの外車から降りてきて私に文句を言いに来た違いない。応対するには少々面倒くさそうな相手だ。

 私は窓を開けてその男のほうを見た。男は私に顔を近づけて、

 「携帯なんかいじっていないで、前を良く見てよ。こんなに列が出来てるじゃないのさ」

 と言って後ろの渋滞を指差した。彼の吐く息は私が吸っているタバコとは違う匂いがした。

 言っていることは良く分かっているのだが、国道の車が途切れないとどうしようもないではないか。そして仮に私の自動車が国道の車列の隙間に潜り込んだとしても、今度はお前が渋滞の先頭で困ることになるのだ。今のこの状況を分かっているのか。いくら文句を言っても前に進めないのはしょうがないのだ。

 しかし私が年甲斐もなく先頭で携帯電話をいじっていて渋滞になったと勘違いされたのでは困る。文句を言い返したいところではあるが相手の神経を逆なでして余計なトラブルに巻き込まれては困る。特にこの人物は怒り出したら手をつけられなくなりそうだ。ここはひとつ不本意ではあるが事を穏便に済ませるために謝るしかないだろう。

 「はい、すみません」

 私はそう言って謝り、二つ折りの携帯電話を閉じた。男は「ちっ」と舌打ちをして自分の自動車に戻った。

 時計を見ると会議が間もなく始まる時刻だ。私は溜息をつき体をハンドルにもたれかけた。私の車のクラクションが不意に「プッ」と鳴ってしまった。

 私は体を持ち上げ間違って押したクラクションを威嚇行動と間違われているのではないかと思い、周りを見回した。頭にタオルで鉢巻をして赤い顔の血圧が高そうな商店の親父が、何か用事かといわんばかりの顔をしてこちらを睨んでいる。私はダッシュボードを開けたり、サンバイザーの上げ下ろしをしたりして何か探すフリをした。

 ああ、どうやってこの状況を会議中の部下に伝えられるのであろうか。私がいないので部下はさぞ心細い思いをしているだろう。まだ営業経験の浅い部下よりも工場での現場勤務も永年経験してきた私のほうが我が社の製品には詳しい。会議の場では私がいないとうまく説明できないだろう。

 私がここで立ち往生しているのは不可抗力であり私の責任ではない。しかしそれを言い訳にしても先方は納得をするはずもない。時間通りに行かない営業が悪いのだ。私の到着など待たずに容赦なく会議は始まるであろう。

 私は焦りで無意識に貧乏ゆすりをしていた。そして奥歯を噛み、体中に力をいれてブルブルと震えた。

 下半身が熱く感じられて、出るはずもない射精感を感じた。私は密室となっている自動車の中でハンドルを両手で叩き、意味のない大声を出した。

 イライラが最高潮に達した。

 タバコを吸いたい。

 私は灰皿の中に指を突っ込み助手席に置いているスポーツ新聞の上に吸殻を並べていった。灰皿の手前のほうの吸殻はすでに吸い尽くされていてフィルターだけになっている。奥にあるタバコが数本長いままで発見された。

 私はまず一番長い吸殻を咥えて百円ライターで火を点けた。そしてそのタバコを吸いながら、長い順に吸殻を並べてゆき、ほとんどフィルターだけになったタバコは元の灰皿に戻した。そして握り潰したタバコのパッケージを伸ばして吸えそうなタバコを入れ、新聞紙に残った少量の灰は窓を開けて払った。

 このような吸い方をしていると早死にするのではないかと思ったが、特に定年後に何をするというあてもなく、地元の老人とゲートボールをする気もさらさらない。退職金を貰ったらさっさと死んだほうが女房も喜ぶのではないだろうか。

 私は国道を流れる自動車を恨めしく思った。この中で本当に自動車を使って移動する必要がある者は何割ぐらいいるのだろうか。私以外に普通乗用車を一人で乗っている奴は車など乗らずに電車で移動すればいいのだ。私は短くなったタバコを咥え放心したような目で前の国道を眺めていた。

 ふと気が付くとさっきまで時々聞こえていた後方からのクラクションの音が聞こえなくなっている事に気づいた。
(2007.07.09)

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  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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