愛・世界博 宇宙電波館(その76)


 翌日私が会社に出勤すると事務員が風呂敷を広げて自分の荷物を整理していた。横で後輩の事務員が新しいCDラジカセが入った箱を開けている。

 事務員と私の目が合った。

「あ、おはようございまーす。私、今日で辞めちゃいます。私がいなくなると誰もラジオ体操をしそうにないのでこれ使ってくださいね」

 彼女は後輩が箱から出している新しいラジカセを指差した。ラジカセ購入用の寄付金箱はすでに撤去されている。事務員がディスカウント店で買ってきたのであろう。事務員のことだからなんだかんだと社長を言いくるめてかなりの額の退職金を手にしたのかもしれない。

 事務員は全員の前で最後のラジオ体操を始めた。ラジカセにラジオ体操用のCDをセットすると音質が格段に良くなっていて、全員の動きが揃っている。今までの古いラジカセだと回転が安定せず早くなったり遅くなったりする上に伸びたカセットテープだったのでリズムがとりにくく、全員がバラバラの動きになっていたのだ。

 体操の後、彼女の後輩があらかじめ用意していた花束を持って出た。事務員はラジオ体操の入っている学校の運動会用CDの中から選曲を変えて表彰式用の効果音を出して花束を受け取った。

 彼女の自作自演の演出だったが、周りにいる社員はあまりそれに疑問を持たずにつられて拍手をした。

 彼女は誰も頼んではいないのにみんなの前で最後の挨拶を始めた。

「私は本日をもちまして退職する事になりました。これより輝かしい未来に向かって旅立ちます。今までお世話になりました。また日本に帰ってきたときは絶対に連絡しますので凱旋公演を見に来てくださいね。その際は少しだけ入場料が高くなっているかもしれないので、ご容赦願います。会社を潰さないように皆さんがんばってください。入社して四年、いろんなことがありました。社員旅行、楽しかったです。何もわからなかった私をここまで育ててくださいましてほんとうにありがとうご……」

 彼女は突然、感極まって言葉が出てこなくなった。そして大粒の涙をこぼしながら私に近づいてきた。

 彼女は花束を落とし私の胸に顔をうずめて泣いた。アル中の営業マンは口笛を吹いて、

「ヒュー。えらくモテてるねえ。やるじゃん」

 と冷やかした。その場にいたみんなの視線が私に突き刺さる。みっともないので私は事務員の両肩を押して私の体から離した。彼女の涙と鼻水が私のワイシャツに付着してシミができている。口紅も少々付いている。後でわからないように拭いておかなければ大変なことになりそうだ。彼女の後輩が彼女を連れてロッカー室に行った。

 芝居掛かっているのだが泣いているところを見ると私との別れを惜しんでいるのだろうか。ほかに誰もいなかったら私は彼女を抱きしめていたかもしれない。

 人騒がせな事務員がその場からいなくなったとたん白けた雰囲気が漂いはじめ、社員は三々五々ラジオ体操の場所から自分の持ち場に戻り始めた。事務アルバイトのおばちゃんはわたしの耳元で、

「あんた、やっぱり社員旅行の時、あの事務員と何かあったんでしょ。今度の子は性格よさそうだから手を出しちゃだめよ」

 と囁いて自分の席に戻った。手を出すも何も彼女のほうから挑発してきたのではないか。私から彼女に手を出したのではない。私はそうおばちゃんに言いかえそうとしたがそれでは自ら墓穴を掘ってしまう事になる。変に弁解をすれば余計に怪しまれそうだ。私は我慢して平静を装い知らん顔をした。

 泣き止んだ事務員は後輩とともに事務室に帰ってきた。既に私服に着替えた事務員は荷物をまとめて風呂敷を結んだ。彼女はその荷物を持って出口に向かい外に出るときに深々とお辞儀をした。社員達からまばらな拍手が起こった。

 事務員が出て行くと何事も無かったように日常の業務が再開された。今日は午後から営業にまわることにしている。私は自分の席についてパソコンの電源を入れ企画書を作成し始めた。

 彼女がいなくなって何も置かれていない机を見ると少し寂しさを覚える。

 私は席を立ち何食わぬ顔をして事務所の扉を開けて外を見た。

 電柱の影に隠れてこちらの様子を窺っている元事務員がそこにいた。彼女は私を確認すると風呂敷包みを地面に落とし、満面の笑みを浮かべて大きく手を振った。私は他の社員にわからないように小さく手を振った。

 私が手を振ったのを見てから彼女は風呂敷包みを拾い、涙を手でぬぐいながら駆け足で去っていった。


(次回はいよいよ最終回です。乞うご期待)



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