愛・世界博 宇宙電波館(最終回)



 社長が切れて灰皿を投げた会議から一週間後、再度営業会議が行われた。

 慣れない企画書作成で連日悪戦苦闘したのだが、苦労をした割には内容の詰めが甘く、社長や他の営業社員から何か指摘されてもうまく説明できない。矛盾点や問題点を散々指摘されて書き直しを命じられた。

 そして何度かの会議の後にようやく現実的な企画書になった。書き直しするたびにこんな変な装置を使用した事業企画などどっちでもいいと放り出したくなったが、社長の逆鱗に触れて勢いで首を切られては困るので辛抱したのだ。おかげでワープロのタイピングが幾分早くなった。

 結局、私が担当者になって、繁華街でその装置を使った男性向けの店を出すことになった。輸入雑貨を扱う会社の副業にしてはかなり方向性が違う。こんなわけのわからないインチキ臭い宇宙電波を使ったいかがわしい店をやっていることがわかると本業に支障をきたすことになりはしまいか。

 数ヶ月の後、会社の資本で私は怪しい店が立ち並ぶ繁華街の一角に店を開いた。そして私は会社の営業から離れその店の専属の店長となった。

 店の外観は診療所のように清潔そうな整然とした構えにして「宇宙電波クリニック」と名前をつけた。怪しいネオンが灯る近隣の店とは趣が違い、極めて地味な外観にしているので時折本当の診療所と間違えて入ってくる客もいる。

 企画をした私でも最初こんな店を出して商売になるのか半信半疑であった。店の営業は夜がメインになるので家族と過ごす時間が減ってしまった。できれば普通の仕事に戻りたいのであまり売り上げが少ないようならさっさと閉店して撤退したかった。

 広告費の予算も無く十分な宣伝もできない。こんな店はすぐに潰れるにきまっていると店長の私でさえ思っていた。しかし予想に反して私が知らないところで徐々に口コミにより評判が広がっていった。

 雑誌やインターネットでも紹介されて客が増え、昼間の開店時間から深夜の閉店時間まで客足が途切れる事がなくなった。

 そしてテレビの深夜番組で三流芸能人が突撃レポートで来店し、それが放送されると、とうとう店の前に行列ができ始めた。観光バスで地方から消防団や青年団の慰安旅行で立ち寄るお客様もいる。こちらから何もしないのに勝手に客が来る。

 人間の生理現象にかかわる商売というものは需要がなくなることがないようだ。

 一日の来客数が処理できる人数を越えてしまったため、料金を値上げしたのだが一向に客足が途切れない。それどころか私の店に入りきらない客があきらめて仕方なしに他の店にも行くようになったため、街全体に活気が出てきた。

 開店と同時に整理券を配り、店の前の電光掲示板に入店可能なお客様の番号を表示した。明るい店内の待合室には長椅子を置いて、そこで客が待機している。まるで病院の待合室のようだ。

 会社の本業の売り上げを「宇宙電波クリニック」が抜くのに時間はかからなかった。あまりにも忙しいので従業員を増員した。そして私の給料も上がった。

 社長はこの店をチェーン店にしようと目論み始めた。近いうちに私は社長と一緒に「カクギクギスメニア公国」行き、製造のメーカーと設備の追加購入の交渉をする予定である。

 一日の営業が終わり、最後のお客様を送り出してから全員で店内を掃除する。

 私は床をモップで拭きながら、家族の事を考えた。最近生活の時間帯が違うため寝ている子供しか見ていない。反対に子供が起きる頃は私が寝ているので、子供も私が寝ているところしか見ていないだろう。

 私の意に沿わない仕事ではあるが毎日目が回るくらい忙しい。悔しいけれども充実感があり、もしかすると営業マンとして日々を過ごすより、こうやって店長をやっているほうが私に向いているのかもしれない。

 もっと工夫して客の回転率を上げて売り上げを増やせば、さらに給料が増えマンションのローンが少し早く返せるかもしれないと思った。

 従業員を送り出してから私は店の売り上げを数え、帳面にまとめていると始発電車の音が聞こえてきた。

 私は店の鍵をかけシャッターをおろして家路についた。

 白々と夜が明けてきた。季節はすでに初夏を迎えようとしている。店の前は数時間前までの賑わいが嘘のように人影がまばらになっている。

 疲れた体に軽く澄んだ風が吹いて通り過ぎた。ゴミゴミとした街ではあるが人間の体温を感じなくなった通りの空気は爽やかで心地よい。

 両手を広げて空に向かい大きく深呼吸をしたら少し眩暈がしてよろめいた。

……完……



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