愛・世界博 宇宙電波館(その71)


 私は一日中都内の顧客を回って事務所に帰るとすでに誰もいなかった。私はこんなに遅くまで働いているのになかなか売り上げが伸びない。あの酔っ払いでさえ私より売り上げが多いのだ。小口の顧客が多いせいだろうか。しかしそのうち私の地道な努力が実を結ぶ日が来るに違いない。

 もしかするとこのくらいの会社なら私でも経営できるのではないだろうか。独立して大儲けをするのだ。愛人を二、三人連れて外車を乗り回し、都内に大きなビルを建て、札束を広げて扇子がわりに扇いでいる自分を想像した。

 私は一人でニヤニヤしながら書類を書いていると、スポーツカーの派手な音が聞こえてきた。社長の自動車のようだ。事務所の近くでそのエンジン音が止まった。笑っている私の表情が普段の顔に戻った。

 静まり返っている夜の街で自動車のドアを閉める音が聞こえ、コツコツという靴音が近づいてきた。

 事務所の扉が開き社長が土曜日に着ていた普段着の格好のまま入ってきた。

「いやー。良かったよ、君。あの宇宙電波は最高だね。三回も入ってきちゃった。君もいいところを知ってるね。最初から教えてくれなくちゃだめだよ」

 社長は「愛・世界博」に本当に行ったようだ。余程「宇宙電波館」が気にいったのか声が弾んでいる。私は書類から顔を上げ、

「社長、おかえりなさい。お疲れ様です」

 と機械的に言ってまた下を向き書類に目を落とした。社長は従業員が仕事をしているのに一人で遊びに行ったのだ。家のローンがなければ変な噂を立てられて恥ずかしい思いをする前に辞表を叩きつけて会社を辞めてやるのに。社長は気楽だな。私は社長を気にせず黙って仕事を続けた。

 社長は私の後ろに近づいた。そして私の背後に立ち、じっとしている。

 気になる。

 何か私の仕事に文句でもあるのだろうか。私は沈黙に耐え切れず振り向いた。

「社長、なんですか」

 社長はニヤニヤとしてそこに立っていた。気持ち悪い。社長が口を開いた。

「仕事はもういいの? 実は今日ね。あと一週間で万博も終わりだけどこの設備はどうするのかって宇宙電波の担当の人に会って聞いたんだよ。そしたら本国に送り返すのはお金がかかるので万博が終わったら解体してスクラップにするらしいんだよね。それじゃもったいないから我が社で引き取らせてくれって頼んだんだよ。本当は払い下げできないらしいんだけど、あんまりしつこく僕が言うもんだから、大使館の人や偉い人たちがきて大変だったよ。結局うちが宇宙電波照射装置を買い取ることになってね。粘った甲斐があったよ。これで商売すると儲かるかもしれない。明日銀行の人と会わなくっちゃ。それじゃ、ね」

 社長はそう言うとスポーツカーのエンジン音を轟かせて帰っていった。

 私も仕事を済ませると会社の照明を消し、事務所に鍵をかけて駅までトボトボと歩いていった。社長はいったい何を考えているのだろう。本当にあんなものを買うのか。

 数日後、事務員が出演するというコサックダンスの公演を妻と子供を連れて観に行った。廃館になったポルノ映画館が時折芝居小屋のように使われているような場所だ。ステージが狭く不健康そうな劇場で子供を連れてくるには環境がわるい。もっと広いステージの会場ならいいのにと思うが、貧乏な劇団では大きい会場を借りることは無理なのかもしれない。

 他の社員達も事務員に券を買わされたらしく、元を取るために観に来ていた。劇団員の知り合いばかりが見に来ているのかもしれない。うちの子以外には子供は見かけない。まばらな観客の中には綺麗なドレスを身に纏い花束を用意している明らかにサクラのような人もいた。

 しかし少ない観客の中にロシア人の姿も数名いた。本国に長く帰っていない在日ロシア人が故郷を思い出すために来ているのかもしれない。よくこんな所へ好き好んで来るのだ。

 ここに来る途中コンビニに寄ってジュースとポップコーンを買ってきたので、妻と私の間に座っている子供は黙ってボリボリと食っている。少し退屈そうだ。

 そしていよいよ開演の時間が来た。ブザーが鳴り、会場の照明が落ち、真っ暗になった。



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