愛・世界博 宇宙電波館(その72)



 会場内は静まり返り、私の隣で子供がポップコーンを食う音が響いている。

 照明がステージを照らし出すと館内スピーカーから郷愁を誘うロシア民謡が流れてきた。そしてロシア風の衣装を着た男の劇団員が一人、舞台の袖から出てきて踊り始めた。最初は地味に踊っていたのだが、時間が経過するにつれアクロバティックな動きが加わっていった。

 その劇団員の男が決めのポーズをとるたびに数少ない観客から拍手が起こった。そして舞台の上に一人ずつ演者が増えていき、事務員を含めた女性も混ざった。彼らは狭い舞台での公演に慣れているようで、隣で踊る者との距離が極めて近いのにもかかわらず激しく飛び跳ねている。振り上げる腕や足はお互いが見事なタイミングで接触しない。そしてまとまって同じ動きをするときは、一人として踊りのタイミングがずれる者もいなかった。

「どの子が会社の女の子なの?」

 と妻が私の耳元で囁いた。もしかすると妻は事務員に対する疑惑の念を抱いているのかもしれない。私は聞こえないフリをして目の前で演じられているロシアの伝統芸能に見入っていた。妻も私の反応がないので前を向いた。

 事務員がやっているコサックダンスのレベルは高く、趣味の領域を超えている。今までは学芸会程度のものだと思っていたが十分観賞に耐えうるものである。ただ彼らへの需要が低いため商売として成り立っていないのだ。物見遊山で来ていたほかの社員達も予想外の素晴らしさに感動が隠せず、目に涙を浮かべているものもいる。

 公演は約一時間半に及び、一瞬たりとも観客を飽きさせる事は無かった。事務員を含め劇団員は皆、驚くべき体力である。

 公演が終了間際になってきた。最初はたいしたことはないとタカをくくって観ていた妻も最後のほうになると疑惑の念がどこかに失せてしまったかのように夢中になって観ていた。

 公演が終了しても誰一人として席を立つ者がいない。すべての観客が拍手をすることを忘れて呆然としている。そして誰かが気づいて拍手を始めると、それに続いて皆が拍手をし始め、その拍手はなかなか鳴り止まなかった。それは義理でする拍手ではない。皆、心の底から沸き起こる賛辞を拍手で表現しているのだ。

 私の子供もパフォーマンスが終わったあとは口を開けたまま動かない。手に持っていたポップコーンが袋からこぼれて床に散乱していた。席を立って劇場のロビーに出ると妻はこんなにすごいダンスは見た事がないと彼らのパフォーマンスを絶賛していた。

 劇団員達は出口に並んで出て行く観客を見送っている。私と家族が近づくと事務員は私の妻を一瞬だけ険しい表情をして見た。それを見逃さなかった妻はすかさず事務員を見て不敵な笑いを浮かべ、事務員の手を握り、

「すばらしかったわよ。がんばってね」

 と励ましの言葉をかけた。

 翌朝会社に行くと事務員と社長が話していた。事務員の手には辞表と書かれた封筒が握られている。



その71へもどる  つづく
電波館topへもどる
  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送