愛・世界博 宇宙電波館(その67)


 私達はホテルから出て暗い夜道を駅に向かって歩いた。もう終電間際である。電車を乗り過ごすとタクシーで帰らなければいけない。タクシー代がもったいないので、私達は足を速めた。

 しかし事務員が急に立ち止まった。

「あんまり急がないでくださいよ。まだ中から出てきそうです」

 彼女は事務服のポケットから駅前等で配られているようなポケットティッシュを取り出して物陰に隠れた。人が来てはいけないので私が盾になった。彼女は暫くスカートを上げゴソゴソしていた。

 そして用事が済むと私達は再び駅に向かって歩き始めた。改札に入る前に、私は歩みを止め彼女に向かって言った。

「やっぱり、こんな関係はまずいと思うよ」

 彼女は私の言葉を聞き、少し怒ったような口調で返事をした。

「終わった後でそんな事言っても全然説得力ないです」

 そうだ、こういう事態は起こる前に防いでおかなければいけないのだ。私の罪悪感が欲望に負けた結果である。自分の意思の弱さを相手に何とかしてもらおうと期待するのは間違っているのだ。私が何も言えず黙っていると事務員が私の耳元に顔を近づけ、他の客に聞こえないように囁いた。

「それに今日は一回しかしてないじゃないですか。全然足りませんよ。男だったら私をもっと満足させてくれないと困ります。これから私は一人で帰ってどうすればいいんですか。私、このままじゃ収まりません。でも今日は終電に遅れそうだから帰ります。奥さんに黙っていればバレませんよ。また安全日にご馳走してくださいね。それじゃ」

 事務員は駅の改札をぬけて、急ぎ足で自分が乗る電車のホームへ向かった。彼女が去った後にはほのかに生栗のにおいがした。

 電車が近づく音が聞こえてきた。私も終電に遅れると困るので改札を通ってホームへ続く階段を登った。

 彼女が乗る電車と私が乗る電車は向かう先が反対なので、電車を乗る場所は線路を隔てた隣のホームになっている。私は人が疎らになったホームに立った。向こう側ではすでに電車が動き出している。彼女は多分、あの電車のどこかに乗っているだろう。私は電車の明かりが遠ざかっていくのを眺めていた。

 もしかすると事務員が電車に乗り遅れているかもしれないと思い、向こう側のホームを目で追って探してみた。そこには事務員らしき女性はすでにいなかった。ベンチに酩酊したサラリーマン風の男が一人座って気持ち悪そうに下を向いてうなだれているだけだった。

 私は何事も無かったかのような表情を作って帰宅した。駅から歩いている途中、家内が起きていたらどうしようかと辻褄合わせの言い訳ばかり考えていたのだが、家のドアを開けても中は静かだった。妻と子供はすでに眠っていたのだ。私は家族が起きないようにこっそりとスーツを脱ぎ、不審な髪の毛やゴミがスーツに付着していないか丹念に調べてハンガーにかけた。

 先ほど起こった事務員との接触事故を早く忘れてしまわないと面倒な事になってしまうだろう。彼女は近い将来、次を要求してきそうだ。日頃から断る理由を考えておかないとまた同じ行為を繰り返してしまう。

 私は誘惑に負けやすい優柔不断な性格に自己嫌悪を感じながら、風呂場の脱衣所に行った。パンツを脱ごうとしたら前後さかさまに穿いていることに気づいた。間違ってこのまま寝てしまって翌朝妻に見られるとまずいところだった。私は風呂場のプラスチックの椅子に座り、暫くの間、頭からシャワーを浴び続けた。

 翌朝、勘がいい妻の表情に変化がないかと新聞を読むフリをして朝食を作っている妻の様子を窺った。

「あら、あなたどうしたの。こっちをチラチラ見て。私の顔に何か付いてますか? それに今日に限って新聞なんか読んでるけど、どうしたの。知っている人でも出ているんですか?」

 そういえば私は最近、朝に新聞を読んでいない。私が朝食の席で新聞を読む事は少し不自然な行為と思われたのかもしれない。妻は目玉焼きを皿にとって興味深げに私に近づき新聞を覗き込んだ。

「いや、特に面白い記事はないね。景気が良くならないとどうしようもないよ」

 私はどっちでもいいコメントをしてすぐに新聞を畳み、目玉焼きに箸をつけた。



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