愛・世界博 宇宙電波館(その50)


 

 当社の朝はラジオ体操から始まる。事務員がラジカセのスイッチを入れた。毎日フルボリュームでラジオ体操第一を鳴らすのでスピーカーが壊れそうだ。最近では音が割れて時々音が途切れるようになっている。しかも使い古しのカセットテープが伸びているので音が揺れてリズムが狂う。

 事務員だけはみんなの前で元気に体操をしている。私は肩が痛いので少ししか腕が上がらない。まわりを見ると他の者も疲れているらしく今日はダラダラと体操をしている。事務員はラジオ体操を真面目にしない者に睨みを効かせながら時々気合いの掛け声をかけているが、疲れているのでどうしようもない。しかし朝に体を動かすと多少は頭が意識を取り戻してきた。

 このラジオ体操は女子事務員が入社した時から彼女の提案で始まり約二年続いている。私自身はこのラジオ体操の習慣が気に入っているのだが、社長は朝のミーティングだけをやりたいらしくラジオ体操には気が乗らないようだ。ラジカセが壊れる前に新しいのを買えばいいのに社長が理解を示さないので今のラジカセから音が出なくなったら、その時点で毎朝のラジオ体操は中断してしまうだろう。

 女子事務員の机の上にはラジカセ購入カンパ箱と書いてあるティッシュボックスぐらいの箱が置いてある。事務員が勝手に作って置いているのだが、社員たちは時々お金を入れるものの、お釣りで貰った五円玉や一円玉ばかり入れるので重さの割には入っている金額が少ない。ラジカセが買えるくらいの金額が集まる前に今のラジカセは鳴らなくなりそうだ。

 ラジオ体操が終わり、社長が朝の挨拶をしたあとはいよいよ仕事モードに突入である。自分の予定の上に酔っ払いの仕事が乗っかったものだから、どうこなしていくかメモ帳に順番を書いていった。どう考えてもこれは一日では無理なので急がない取引先には電話を入れ、予定をずらしたり日を変えてもらったりするように頼んだ。しかしそれでも残業になりそうだ。

 倉庫に入って発送の準備をし始めた男子アルバイトを呼び止め、酔っ払いが行くべき納品先に代わりに行くように頼んだ。在庫管理をしているアルバイトのおばちゃんは男子アルバイトが居ないと仕事にならないと文句を言っていた。しかし納品先までは一時間もあれば帰ってこられるので暫くの間我慢して、出来ることからやってくれと説き伏せた。

 「愛・世界博」で社長にくっついていたもう一人の営業マンにも頼もうかと思ったが彼は要領が良いのですでに社内にいない。しかも営業成績は当社の三人いる営業マンの中でも一番売り上げが多いので社長も彼に遠慮しているのか余計な仕事を頼まないのだ。結局、私に酔っ払いがするべき仕事が回ってきたのだ。

 私は会社の外に出て歩きながら携帯電話で酔っ払いに電話をかけて詳しい営業内容を聞こうとした。しかし彼は痛みを紛らわすために朝から酒を飲んでいるようだ。呂律が回らず説明がわかりづらい。私は道端に立ち止まりメモをしながら彼の話を分析した。話を聞き終わるまでにかなりの時間を浪費してしまった。

 そうして私は自分の仕事と酔っ払いの穴を埋めるための仕事で飯を食う間がなかったのでコンビニで買ったパンを齧りながら都内を動き回った。普段は昼飯の後、ベンチのある公園で三十分ぐらい昼寝をするのだが今日はそれすらもできない。

 やっとのことで一日の仕事が終わり、結局私は夜の九時過ぎに出先から会社に帰ってきた。

 事務室の電気が消えている。普段であれば九時だろうが十時だろうが平気だが、今日は朝から疲れているので本当に辛かった。あの社員旅行を恨めしく思う。私の他に誰もいない事務室の電灯を点けて机に座り、報告書を右手で書きながら左手で肩を揉んだ。明日持っていく見積もりや在庫管理のおばちゃんに渡す納品予定の商品の手配書を作成しているとすぐに時間が経過するので結局家に帰ったのは終電間際だった。

 酔っ払いの営業マンはそれから続けて休み、私が夜遅く事務所に帰る日が三日続いた。

 私は夜の事務所で一人席について暫くぼんやりとしていると、会社の明かりに向かってカナブンが窓ガラスに体当たりしてくる。いい加減に誰かが代わってくれないと私は倒れてしまいそうだ。あまり長くこんな状態が続くと過労死しかねない。私は死んでしまうぐらいなら無責任だと思われてもいいので仕事を放り出して会社に辞表をたたきつけて辞めてやる。

 しかし大分、私は酔っ払いがするべき営業活動をした。彼が会社に出てこなくても二人分の仕事をこなせるのではないかと変に自信が付いてきたように感じた。もしやこのまま酔っ払いが辞めれば私が給料を二人分もらえばいいのだ。そうすればローンの返済期間が半分になるし小遣いは倍になる。ありもしないことを考えて、事務所の机に頬杖をついてニヤニヤしてしまった。疲れているときに限って気分が高揚し、つまらない妄想をする。

 しかし報告書を書いて冷静に考えると笑いは消えた。実際のところ今日も二人分の仕事をこなせなかったし、新規開拓もまったく出来ていない。今の仕事量は自分の実力以上だ。やはり自分という人間一人が一日にこなせる仕事量はたかがしれているのだ。

 明日もあの酔っ払いは来ないのだろうか、今日は夜遅くまでお得意様を待たせてしまった。客に迷惑をかけると信用をなくしてしまうかもしれない。しかし社長も私一人に余分な仕事を押し付けるのだからそれも仕方が無いのだ。私は自分ができるだけの仕事をやるしかない。

 私はその日も一人で事務所の鍵を閉め、家路についた。



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