「うどん屋」 (その2)


 彼は舌打ちをしながら左手の手首を右手でさすった。どうやら手首を痛めてしまったらしい。仕事という義務感にかられ、さらに彼はうどんをこねようと試みた。しかし左手に力が入らない状態ではあの大きなかたまりを十分にこねることができない。

 店員は窓越しに外の風景をぼんやりと眺めながら力なく右手だけを使ってゆっくりとそのかたまりを押していた。そしてしばらくそのまま作業を続けていたが突然「はっ」とした表情で柱に掛けてある時計を見た。もうすぐ開店の時間である。

 店の奥から旨そうな出汁の匂いが漂ってくる。

 店員は手のひらでこねるのを諦め、肘を使ってこねはじめた。まるでマッサージ師のようだ。少しの間そうやってこねていたが捲り上げた作業着の袖がずり落ちてくる。店員はそのたびに袖をまくるのだがまたすぐに落ちてくる。非常にやりにくそうだ。

 苛立った店員はとうとうその作業着のボタンを外しそれを脱いだ。作業着の下にはシャツを着ておらず、胸毛がチラホラと生えている筋肉質の肌があらわになった。

 彼は肘でうどんをグイグイと押した。力を込めて押すと肘がうどんにめりこみ胸が接してしまう。胸毛が粉で白くなっている。うどんに胸毛が混ざると気持ち悪いなと思った。

 私はうどんを打ったことはないがこの店員がやっている作業は本当に正しいのか訝しく思えてきた。生地を練り上げてから多少の時間は寝かせておかなければいけないとテレビで見たことがある。この時間にまだ生地を練っているのでは絶対に開店時間に間に合わないだろう。本来ならば今の時間は寝かせておいた生地を麺棒で伸ばして切断作業をしていてもいい頃である。

 店員はかなり焦っているのかしばしば時計を横目で見ている。これだけ大きいかたまりをいくらこねても小麦粉のダマが残ってしまう。無理しないで小分けにしてこねればいいのにと他人事ながら忠告したくなってくる。

 もう完全に間に合わないと思ったのか、店員は諦めたような表情で手を止めた。そして放心した様子で作業台に伏せて生地を抱きかかえた。彼は悲しげな顔をしてその白いかたまりにいとおしむように頬ずりした。顔も体も粉で白くなり、まるで前衛舞踊家のようである。

 やわらかいうどんの生地が気持ち良いのだろうか。店員はそのかたまりを厚い胸板で押した。そして彼は頭の鉢巻きを振りほどいて床に捨て、サンダルを脱いで一畳ほどの広さがある作業台に上がって生地を抱き、横たわった。

 大きな生地は店員の体を使って転がされ、かたまりは白い大蛇のように伸びていった。店員が生地とともにのた打ち回っているところを見ると本当に白蛇が彼に巻き付いて生きているように見える。店員の白いズボンはずり落ち、柄物のトランクスも脱げかけて尻が半分露出している。

 それでも私の目など気にする事なく執拗に体全体を使ってうどんをこね続けた。彼はとうとう全裸になり生地を股間に挟んでいる。もはやそのうどんは食えない。知らずに店に入った人なら食うかもしれないが、少なくともこの場でこの光景を目撃している私は店に入る気など失せている。

 とうとう開店時間になった。いつまでたってもうどんが打ちあがらないのを不審に思った店主らしき年配の男が奥から様子を見に来た。そしてこのおぞましい光景を見て大声で何か怒鳴り店員を作業台からひきずり降ろした。生地の股間が当たっていた部分には窪みができ、毛が数本付着していた。

 店主は急いで窓にカーテンを引き、店の玄関から出てきた。そして見物していた私に愛想笑いをして「本日休業」の札をかけ戸を閉めた。

*****  完  *****
(2007.10.09) 

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  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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