「うどん屋」 (その1)


 朝の通勤時間帯を少々過ぎた頃、私はまだ人通りが少ない駅前の商店街を歩いていた。モーニングセットを出している喫茶店以外では営業している店が少なく、まだどの店舗も開店準備をしている。

 その中の一軒に準備中のうどん屋があった。その店は店先がガラス張りになっていて店の中でうどんを打っているところが見えるようになっている。手打ちうどんと看板を掲げて実際は機械で製麺している店があるかもしれないが、この店は本当に人間の手でうどんを打っているようだ。私はうどん通ではないので手打ちうどんか機械製麺かの違いは分からない。ただその店は手打ちに拘りを持っているようだ。

 私はその店の前で足を止めた。

 ガラスの向こうでは男性の店員が小麦粉を作業台の上にドーナツ状に盛り上げ真ん中に水を差しているところだった。丁度うどんを打ち始める場面に出くわしたようだ。

 その店員は板前風の白い作業着に白いズボンを身に纏い、短髪の頭にねじり鉢巻をしている。彼は一見してまだ若いようではあったがその手馴れた手つきからうどん打ちに関しては熟練者のようであった。捲り上げられた作業着の袖から出ている腕は筋肉質で、日々の仕事で鍛えあげられた職人の腕をしている。

 私という観客がいるということを一向に意に介することも無く、店員は一心不乱でうどんをこね始めた。最初はゆっくりと、そして段々と力が入っていく。店員の顔が見る見るうちに紅潮してくる。彼の額には薄らと汗の粒が浮かびはじめた。

 彼は全体重を手のひらにかけてうどんのかたまりを押しつぶし、たまにそれを持ち上げて激しく作業台にたたき落とす作業を繰り返していた。

 ある時、店員の手が止まった。

 作業台にある白いかたまりをじっと見つめて首をひねっている。自分が打っているうどんに納得がいかないのだろうか。

 店員はおもむろに目の前のかたまりに小麦粉を足した。素人目に見てなぜここで小麦粉を足すのかよくわからない。しかし店員にしてみればそのうどんの感触から水分が多いと判断したのであろう。その店員には妥協を許さない厳しい職人の目が光っている。

 旨いうどんを打つには水分と小麦粉のバランスが大切なのだ。曲がりなりにも客に出す商品である。常に微調整をして完成度の高いうどんを提供しなければいけないのであろう。

 しばらく彼はうどんをこねていたがまた納得がいかない様子で首をかしげた。今度は小麦粉が多かったらしく水を足した。

 そして彼は少しの塩を振り、またうどんをこね始めた。いつその小麦粉と水でできた白いかたまりが引き伸ばされてうどんになるのだろう。私にはこれといって用事がないので好奇心と暇つぶしのためうどんが出来上がるのを最後まで見届け、開店したら本日最初の客としてザルうどんを食べてみようと思った。

 店員は今ひとつ水と小麦粉の割合に納得がいかないらしく、頭をかしげては水と小麦粉を交互に足していった。足す回数を重ねるごとに段々と生地が大きくなってゆく。

 結局うどんの生地は座布団を三枚ぐらい重ねた大きさになり店員はそこで妥協した。

 それは重量にして二、三十キロ程であろうか。かなり大きなかたまりである。迷いがなくなったせいで、店員はまた激しくこねはじめた。そして彼はそれを軽々と持ち上げ勢いよく作業台に落とした。店のガラスが揺れ、外に立っている私にも振動が伝わってくる。

 店員が筋骨隆々である理由がわかる気がする。

 それにしてもそんなに大きなかたまりを伸ばすと今の作業台の広さでは足りなくなるのではないだろうか。ここから先、店員がそれをどうするのか見ものである。さらに彼の作業が調子に乗ってきたようだ。作業台が壊れそうなぐらい鬼の形相で一心不乱にうどんをこねている。額から玉のような汗が飛んでいる。

 うどんを打って商品にするというよりうどん粉をこねるという作業自体に至高の悦びを感じているのだろうか。店員は興奮した様子でかたまりをさらに高々と上げ渾身の力をこめて作業台に叩き落した。その勢いに乗って生地に自分の全体重をかけた時、事件は起きた。

 店員の動きが突然止まった。彼は「しまった」という表情をした。

(2007.10.09) 

その2へつづく

  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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