皿 (その1)



 初夏の早朝、外はまだ薄暗く家族はまだ寝ている。
 私は家の食器棚にある陶器の皿をすべてカバンに入れた。無造作に放り込むと割れてしまうので一枚ずつ丁寧にカバンの中に立てて並べた。

 その数大小合わせて三十枚ぐらいだ。

 カバンは茶色の合成皮革でできていて細く短い持ち手が付いている。しかし肩にかける長いストラップは付いていない。

 皿を入れたカバンはかなり重い。

 持ち上げると皿同士が当たってガチャと音がする。このままでは割れてしまうかもしれない。タオルか新聞紙でくるんだほうがいいのだろうが、一度入れてしまった後にまた出して梱包する作業は面倒で時間がかかる。しかもこの状態でかなり詰め込んでいるので緩衝材を挟むと全部入らなくなってしまう。とにかく早く出発したいのでこのまま持っていくことにした。慎重に運搬すれば何とかなるだろう。

 これから行くところは少々険しい場所だ。この日のために私は登山用の靴と二リットル入りペットボトルのお茶を用意している。

 冷蔵庫を開けてそのお茶を取り出した。新品を入れておいたはずなのに誰かに少し飲まれている。私はそれをホルダーに入れ首にぶら下げた。そしてカバンを持ち、数枚のタオルを脇に抱え、玄関の戸をそっと開けて外へ出た。自動車の助手席側のドアを開け、中の皿が割れないようにタオルを床に敷いてゆっくりとカバンを置いた。

 出発してすぐに近くのコンビニでおにぎりを三個買った。車の中でおにぎりを一個食べて残りは皿の入ったカバンの僅かな隙間に入れた。

 あまりスピードを出すと皿が割れるかもしれない。段差を通るたびガチャと音がする。路面が荒れている所はゆっくり走ったので、急いでいる人は私の車を抜いていった。そして車は広い道路から脇道にそれ、山に向かう細い道に入った。

 そこは舗装路ではあるが維持管理されていないためあちこちに穴が開いている。ガタガタと車が揺れるたびに皿同士が接触する音がする。木々が道の両側から迫ってきていて枝が車の窓に当たった。窓ガラスに当たっているのにどうしても目を瞑ってしまう。

 そんな田舎道を皿が割れないよう慎重に運転し、出発から一時間ぐらい経った頃、車を止めた。

 私はカバンを開けて中を覗いた。今のところ大丈夫だ。

 ここは道幅が多少広くなっており、通行止めにならない程度に自動車を縦列で数台停めることができる。警察も巡回に来そうにない辺鄙な場所なので駐車違反で捕まることもないだろう。

 私は自動車を降り、山道を重いカバンを持って登り始めた。

 たった五十メートルぐらい歩いただけなのにカバンの持ち手が指の関節に食い込み痛くなってきた。登山靴を買うついでにショルダーバッグかリュックサックを買っておけばと後悔した。

 しかし今更引き返す気はない。仕方がないので時々止まって中の皿が割れないようにカバンをそっと地面に降ろし、持つ手を替えて登るしかない。

 ああ首が痛い。首からぶら下げたペットボトルのお茶が重い。しかもブラブラと揺れて歩きにくい。中身が少し減っているとはいえ二リットルのボトルは首にかなりの負担となっている。しかたがないのでカバンを持つ手と反対側の脇にボトルを抱えて歩いた。時々飲めばそのうち軽くなるだろう。

 日頃から何も運動をしていないせいか少し歩くとすぐに息が苦しくなり心拍数も上がる。荷物を持つ両腕もだるくなってくる。私は度々歩みを止め、息を整えた。歩いている時間より休憩しているほうが長い。

 登るにつれ道は急勾配になってきた。普段人が通らないせいか所々道が藪に覆われている。ボトルとカバンで両手が塞がれているため頭から藪に突入し強引に前進した。

 蜘蛛の巣が顔に絡みつき、鋭利な葉っぱが目の近くをかすめる。首筋に虫が這っているようなガサゴソという嫌な感じがした。私は慌てて振り払おうとしてカバンを落としそうになった。

 耳が冷たい。耳たぶが少し切れて血が出ている。

 藪をいくつか抜け、さらに登っていくと次第に荒涼とした景色になってきた。植物が少なく岩ばかりの道だ。両手が塞がっていては登り切れない坂をもある。そういう所はペットボトルとカバンを手が届く岩の上に落ちないようにそっと載せてよじ登った。不安定な所に置くため何度もカバンがズルリと滑り落ちそうになった。慌てて支えようとして手の平や肘を岩に何度もぶつけた。

 そうしてカバンを落とすことなくなんとか皿を守り切った。

 (2018.12.03)  

つづく  
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