「黙祷」 (最終話)


 私が白いワイシャツの上から自分の腹の肉をつまんでいると不意に横からの圧迫感を膝に感じ始めた。さっきまですまなそうに足を閉じて座っていた隣の巨漢の膝が緩んできたのだ。そして隣からは「スースー」という呼吸音だけが聞こえてくる。会場のどこからか「うーん」という唸り声やイビキの音も聞こえてきた。

 この黙祷をいい加減に切り上げて終了させないと会場の全員が寝てしまうぞ。と思っている寝不足の私にも猛烈な眠気が襲ってくる。黙祷中に眠ってしまうのは不謹慎だ。私は眠らないために少し目を開けようと思ったが目蓋が非常に重い。いくら目を開けようと思っても半開きがやっとである。やっと目が開いても白目を剥いてしまう。

 隣の巨体のことなどもうどうでもいい。眠気とともに私の膝から力が抜けてくる。両隣から押されているので力をぬいても私の膝はどちらにも動きはしない。変に気を遣わず自然に任せて両隣と接触していても迷惑でも何でもないのだ。今まで隣に遠慮していたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 私の頭はコクリと前に傾いては元に戻り、いかんと思って頭を起こすと逆に後ろにひっくり返りそうになる。眠らない努力をすればするほど私の頭はユラユラと揺れた。

 不意に隣の男の膝がビクンと動き、私はビックリして目を覚ました。階段を踏み外した夢でも見たのであろうか。私は口の周りが濡れているのに気づいた。開けっ放しになっている口の横から涎が出ていたのだ。その一筋の唾の雫はまだ顎まで達していなかったので私は急いでそれを啜って衣服に付着するのをすんでのところで防いだ。

 まだ黙祷の最中である。驚かされて少し頭にきた私は目を閉じたまま隣の男の膝を私の膝で緩やかに押した。すると彼は気づいたのかどうだかわからないが足を自分の方へ引っ込めた。

 私の目が覚めたのはその瞬間だけあった。そして再び激しい眠気が襲ってきた。私の意識は次第に混濁し心地よい眠気に包み込まれ深い暗闇に沈んでいった。

 それからどれくらいの時間が経過したのだろう。

 うつろな意識の中で会場内のザワザワという音が聞こえてくる。休憩時間になったのだろうか。私は目を瞑ったまま会場内の音を聞いた。寝不足の体は依然として重く、体を動かす気にもなれない。

 私は首を前に垂らしたまま動けなかった。私は疲れているのだ。もう少し眠っていたい。もういいのだ、大会なんて。どうせ夜になると遊び呆けるだけなのでせめて大会の間だけでも眠っておこう。

 誰かが私の肩を軽く叩いた。誰だ。私の眠りを妨げようとする者は。私は反射的にその手を払いのけてしまった。眠い。だるい。誰が話しかけても私は絶対に起きないぞ。

 私の意識はまた遠のき、再び深い眠りに落ちていった。

 ……。

 やけに寒いな。エアコンが効いていないのだろうか。

 寒さで目が覚めた。私は顔を上に向け両手をだらりと下げて椅子からずり落ちそうになって眠りこけていた。変な格好で寝ていたせいで首が痛い。

 私は目を開けた。

 暗い。

 会場内は照明が落とされていた。上向きの私の目に入ったものは薄暗くなった天井だった。人の気配がなくなっているのに気づき慌てて姿勢を起こし周りを見た。

 広大な会場はすっかり片付けられて私は一人ポツンとパイプ椅子に座っていた。

 (2008.09.22)  (完)

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