「国道の車列」 (その1)


 私は幅の狭い路地を車で走っていた。この路地はあまりにも狭く対向車が来るとすれ違えないため一方通行の規制がかけられている。道沿いには商店街というほどではないが商店もある。

 私は他の道が混んでいるときはいつもこの路地を抜け道として使っている。わざわざこんな狭い路地を通って国道に抜けようとする車は少ない。まるで私だけの秘密の抜け道のようだと思うと少し笑みがこぼれてしまった。

 案の定、今日もこの路地は空いていた。しかしあまりスピードを出すと危ないので徐行しながら進んだ。ゆっくり行ってもいつも渋滞している道路を通行するよりははるかに早い。しばらく行くとその混雑している国道との交差点がある。その交差点には信号も無く、ただ停止線と「止まれ」の標識があるだけだ。その国道には中央分離帯があり路地から出ると左折しか出来ない。私は交差点に近づくと左にウインカーを出した。

 私は後数年で定年を迎える営業社員だ。運転免許を取得して四十年近くになるが無事故、無違反を貫き通している。なぜならこのような目立ちにくい交差点といえども必ず一時停止して安全確認をすることにしているからだ。

 たかが一時停止といっても侮れない。少しの注意を怠っただけで大事故に繋がることもあるのだ。大概の者は止まったつもりで僅かずつ動いていたり停止線を越えて止まったりする。私は必ず完全に停止し、左右を確認した後でないと発進はしない。私と違って落ち着いた運転が出来ない者が事故を起こすのだ。

 国道の車列は途切れていたが私は安全のため停止線で止まった。そして左右を落ち着いてゆっくりと確認していたら、大量の車両が右からやってきた。ここで焦って発進すると事故のもとだ。少しぐらいは待つゆとりが必要である。これは当分国道に出られないと思った私はネクタイを緩めタバコに火を点けて目の前を走り抜けていく自動車が途切れるのを待った。

 しかしいくら待てども今日に限って国道の通行車両が多くなかなか国道に出られない。残り少ないタバコを全部吸ってしまったので、自動車の灰皿の中からまだ吸えそうな吸殻を探して火をつけた。

 この路地を通行するのは私だけだと思っていたのに私の車の後ろには数台の自動車が停止していた。路地といえども公道なので他の自動車が通行しても不自然ではない。いかに少ない通行量といえども全くゼロというわけがないのだ。あまりの待ち時間にその中の一台が堪えきれずにクラクションを鳴らした。

 しかし動けないものはしょうがないではないか。クラクションを鳴らしたくなる気持ちはわからないわけではないが後ろの運転手も辛抱が足りないのだ。もしその運転手が私の立場であれば、きっとこの状況で前に出る事ができないことぐらいわかるはずだ。いかに急いでいてもここで国道に出ると命の保障はない。

 先程、この場所でのんびりと一時停止などせずに通過していたらこんなに待たずに国道に出られたかもしれない。しかしそれはたまたま前方の国道を走る自動車の通行が途絶えていただけの事である。運が悪ければ不確実な安全確認により迫り来る自動車に気づかず事故を引き起こしていたかもしれないのだ。運に頼る運転などせずに少しの時間は待ったほうがいいのだ。後ろの車には悪いが私の車を動かす事はできない。

 その時、一時停止した私の判断に誤りはなかったと思う。しかし近道をしようと思って信号の無い路地を選んだ事がそもそもの間違いかもしれない。今日に限って読みが外れた事を後悔した。

 このまま待っていると取引先での会議が始まってしまう。(2007.06.17)  


その2へつづく

  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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