愛・世界博 宇宙電波館(その63)



 私は歩く速度を上げ、事務員を置いて先に進んだ。

「あれ、どこに行くんですか。ちょっと待ってくださいよ」

 彼女はそう言いながらついてくる。私の横に並び、歩きながら彼女は話し続ける。

「でもね、私、コサックダンスが好きだから、練習がきつくてもいいんです。よく男の人が駅のホームでゴルフの真似をしてるでしょう。私、その気持ちよくわかります。私も電車を待ってるときなんかついダンスのイメージトレーニングをしちゃうんですよね。昨日も私が駅のホームで少しだけ足を上げて練習してたのを見ませんでした? 知ってる人に見られたらちょっとはずかしいです。でも良かった。見られたのがアルバイトのおばちゃん達じゃなくて。あの人たちは私が若いからって少しひがんでるから、会社で皮肉を言われそうですよ」

 そういえば昨日駅のホームにいた彼女はそれらしい練習をしていた。わたしはつい、

「へー、いつもあんなふうに練習してるんだ」

 と返事をしてしまった。

 事務員は急ぎ足で私を追い越し、振り向いて止まった。私もつられて止まった。事務員は私を意地悪な笑顔で見て言った。

「あー、やっぱり昨日、駅で会いましたよね。ねっ」

 私はつい口を滑らせてしまったのだ。何とかごまかさなければ。

「い、いや、あっ、そうだ、おとといだ。おととい僕が営業から帰ってくるときにたまたま見かけたんじゃないか。君は気づかなかったかもしれないけど……。昨日は駅で会っていないよ」

 事務員は私の様子が妙に不自然なことを察知し、微笑を浮かべた。

「おとといは駅に行ったらすぐに電車が来たからホームで練習なんかしてません。何か隠してないですか? おかしいです。やっぱり昨日万博に行ってませんでしたか? 社員旅行で行ったときに、なんだか気味が悪いカクギク何とかってパビリオンがあったでしょう。それってネットの掲示板とかで調べたら男の人にはとても気持ち良い所らしいじゃないですか」

 事務員が疑わしそうにこちらを向いて話しているのに耐えられないので私は下を向きポケットからハンカチを出して吹き出る汗をぬぐった。そして彼女の話を遮り、宇宙電波館から話題をそらそうと思った。

「今日は暑いね」

 彼女は私が汗をぬぐいながらそう言ったのをさほど気にかけることもなく話題を変えようとしなかった。

「ええ、暑いですね。それで私達ってあのパビリオンの前でたまたま会いましたよね。あのときパビリオンの人から女性は体験コーナーに入れないって言われて、自分だけ入ろうとしてましたよね。もしかしてそこに何があるのか最初から知っていたんじゃないですか? 結局、社員旅行であのパビリオンに入れなかったでしょう。そんなにいいところなら男の人だったら平日に仕事を休んでも行きたくなりますよね」

 図星だ。どうやって辻褄を合わせようか。すぐには思いつかない。私が黙っていると、事務員が続けた。

「ほかのおばちゃんたちもテレビで似たような人が出てたって、怪しんでましたよ。いいんです。男の人がいやらしいのは当たり前ですから。こっそり変なところに行っていたのは誰にも言いませんから今日はご馳走してくださいね。それにこのチケットも買って下さい」

 事務員は私の手を取り、公演のチケットを私の手のひらに置いた。二千円と値段が書いてある。やはり事務員の機嫌をとって飯を食わせて帰らせるしかないのか。しかし私はその事実を認めるわけにはいかない。私は事務員から目をそらし、反論する声が小さくなった。

 「いや、あの、行ってないよ……。昨日はあの、その……。ああ腹が減った。何か食って帰るかな。君は何が食べたいのかな? あまり高いものじゃなかったらご馳走するよ。でもこれは君を口留めするって意味じゃないからね。これ二千円」

 私は財布の中から千円札を二枚手渡した。事務員は目を輝かせて、

「いいです、いいです。ごまかさなくても。言ったりしませんよ。えーっと、何にしようかな」

 とあたりを見回しながら受け取った千円札を事務服のポケットに入れた。彼女はすっかり私が「宇宙電波館」に行ったと確信している。

 私はスーツのポケットにそのチケットを入れた。

 私は家に会社の同僚と一緒に飲むので遅くなると電話した。

 私達が食事に行ったのは電車が通るたびに揺れるガード下の焼き鳥屋である。暗い夜道にポツンと店の明かりが灯っている。この店は狭く、暖簾をくぐって中に入ると換気扇の性能以上に煙が発生しているので、店内は霧がかかったように霞んでいる。酸欠で倒れないか心配だ。

 そして店内にはカウンターの席が十席ほどと四人掛けのテーブルが二つある。外の静かさと打って変わって会社帰りのビジネスマンや肉体労働者でひしめき合い、カチャカチャという食器が当たる音やザワザワとした話し声で騒がしい。私達はカウンターの隅に丁度二つ空いていた席に並んで座った。

 事務員のことだから遠慮なしに高級店に行くのではないかと覚悟していたが、この焼き鳥屋で安心した。この店には会社の帰りに何度か来たことがある。私は椅子に座ると辺りを見回して知り合いがいないかどうかを確認した。会社の人間がいると最悪だが、幸い誰も知らない人ばかりだ。男女の二人連れが店に入ったのを気に留めるような者は誰もいないようだった。

 店内は小汚いが安くて旨い。この店の主人は寡黙で無愛想なのでいつ来ても笑っているところを見た事がない。無精髭を生やし、頭に方言が書いてある手ぬぐいを巻いて黙って焼き鳥をひっくり返している。気のせいかもしれないがどこかで見た事があるような手ぬぐいだ。専ら店の中を動いているのは奥さんらしき女性だ。店の主人とは正反対で笑顔が絶えず、店の雰囲気を明るくしている。


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