「空気」 (その2)



 一気に剥がして一時的に痛いのを我慢してもいいのだが僕はゆっくりとなるべく痛くないように剥がした。剥がした後のガーゼには少し血が滲んでいる。点滴の痕を見ると小さいカサブタができていた。絆創膏を張っていた部分は赤くかぶれている。

 僕はカサブタの部分に当たらないように周りを掻いた。しかし一向に痒みが収まらないのでついついそのカサブタの部分まで力を入れて引っ掻いてしまった。

 そのカサブタは僕の爪の間に挟まって取れてしまった。そして点滴の痕に空いた小さな穴からシューシューという空気が抜ける音がし始めた。

 あわてて指でその穴に蓋をすると音も止まった。指を離すとまた空気が出てくる。僕は何が起こっているのか事実を認識する事ができずに暫く放心状態で穴に指を当てたり離したりしながら遊んでいた。

 あ、と僕は我に帰った。

 看護婦さんが点滴の針を抜くとき空気が抜ける音がしたのは気のせいではなかったのだった。

 僕が風船みたいに膨らんでいるのは体に空気が溜まっているせいなのだ。何がこうなった原因なのかはわからない。体を圧迫する体内の空気を抜けば体調も元に戻るかもしれないと思った。そして僕は暫く空気が抜けるままにしていた。

 しかし穴が小さいのでなかなか空気は抜けてくれない。脹らむスピードと萎むスピードが同じくらいなのではないだろうか。もっと大きい穴にすれば早く元に戻れるかもしれない。

 僕は台所から包丁を持ってきた。どこでもいいから穴を開けるんだ。

 僕はシャツを脱ぎその包丁の先をお腹にあてがい少し力を入れた。

 痛い。

 このまま刺してしまうと死んでしまうかもしれない。僕には自分で自分を傷つける勇気などないのだ。やはり腕に空いた小さな穴から少しずつ空気が抜けるのを待つしかない。

 包丁を放り出して僕はまた寝床に横になった。そのうちなるようになるだろう。シューシューという音を聞きながらウトウトと眠ってしまった。

 数時間後目が覚めると部屋は真っ暗だった。

 辺りは既に夜になっていた。僕は電気をつけようと思い体を起こそうとしたが力が抜けて起き上がれない。まだシューシューと空気が抜けている音が聞こえている。暗闇に目が慣れた頃、頭だけ起こして自分の体を見た。寝る前の体形とは明らかに変化している。僕の体は敷布団の凹凸に沿った形に平べったくなっている。

 しまった。空気が抜けすぎたようだ。僕は空気の抜けた腕の力を振り絞り、ゆっくりと薄っぺらになった右手をヒラヒラと持ち上げ左手の空気穴まで這わせていった。そして指を穴の上に置き、詮をした。

 このまま気が付かないで寝ていると完全に動けなくなっていたかもしれない。暫く穴をふさいで空気を貯めておこう。間一髪で気が付いてよかった。

 腕を押さえたまま仰向けに寝て、なすすべも無く暗い天井の節を見つめた。

 このまま火事にでもなれば完全に逃げ遅れてしまうだろうな。僕はあまり社会的に価値あるようには思えない人間ではあるが、死ぬということを前提にして生きているのではない。まだやりたいことがいくつもあるのだ。

 体が少し脹らんできた。そしてようやく体に力が入り始めた。僕は腕を押さえたまま上体を起こしゆっくりと立ち上がった。電気を点けるために右手を穴から離すと足元が揺らぎヘナヘナとしゃがんでしまった。まだ十分に空気が詰まっていないようだ。

 これから一生、体調維持のため空気を貯めたり抜いたりを繰り返さなければいけないのだろうか。気が滅入る。

 明日は早速ヤブ医者に文句を言いに行こうかと思う。どうせ僕の病名などわからないだろうから文句だけでも言えば気が治まるかもしれない。

 僕は腕を押さえたまま家の中をさまよった。そしてタンスの奥からビニールテープを探し出し腕に貼った。

 本当に絶望したときにはこれを剥がしてほったらかしにしておくと楽になるかも、といらない事を考えてブルブルと首を振った。

*** END ***

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  © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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