一言
ギョーザ 2008.01.16

 高校を卒業して二十数年経過してしまいました。自分の意思とは関係なく年齢は勝手に加算されていきます。まさか自分が四十代のオッサンになるとは思いもよらなかったのですが、現在の自分や近所の同級生達はその高校生の頃思っていたオッサン像よりなんだか若い気がします。自分自身や周りの者は一緒に年を重ねていくので長年の変化に気がつきにくいのかも知れません。

 数年前、正月休みに帰郷した同級生にコンビニで偶然会って声をかけられました。頭が少々薄くなり腹が出ている容姿を見たとき一瞬そいつが誰なのか分からず相手が名乗るまで首をかしげてしまったことがあります。中学校を卒業してから音沙汰がなく日頃から会っていないとこうまで変わってしまうのかとびっくりしました。きっと自分が思っているより自分は変化を遂げているのでしょうが、あまり自分自身を客観的に見る事がないので年を取ったという自覚はありません。

 年齢だけを徒に重ねても精神的にも落ち着いた人格者になっているわけでもなく、小心者は小心者のままで毎日慌てたりビクビクしたり心配したりと若い頃からまったく同じ性格です。

 先日のことです。たまたま会社が半日で終わり、買い物をするために私が通っていた高校がある町に行ってみました。腹も減っていたため何かないかと自動車で街を流していると一軒のラーメン屋の看板に目が止りました。それはどこかで見たことがある店名でした。

 頭の中で私が高校生だった頃の記憶を探ってみました。たしかそのラーメン屋は高校の最寄り駅の前で営業していたラーメン屋だったような気がします。その店舗は廃車になったバスの内装を改造してテーブルを置いている非常に窮屈な店でした。

 私は高校のときに友人と何回か食べに行った記憶があります。それからかなりの年月が経っているわけでラーメンの味も店のオヤジも忘れてしまいました。その店がバスではなくちゃんとした建物で営業していたのです。ちゃんとしたといってもトタン張りの仮設住宅のような外観です。店主はあくまで店にはお金をかけたくないようです。

 私は店の前の狭い駐車場に車を止め、店に入りました。

 昼時ではありましたが私のほかには客が一人もいません。狭い店内は外観のトタンとは裏腹に使い込まれて黒くなった木造の古民家風で昭和の時代の食堂のようです。この場所に移転してかなりの時間が経過しているようです。メニューはラーメンのほかに焼き鳥もあります。もしかするとこの店は昼間よりも夜のほうが客が多いのかもしれません。

 私が店に入ると店主が出てきました。店主一人に客一人というのはけっこう緊張感があります。私はその人の昔の顔を思い出そうとしましたが思い出せません。白髪頭のオヤジは年恰好から判断すると還暦は過ぎているような気がします。店主も昔に数回来店した高校生のことを覚えていないでしょう。

 店にはカウンターの席とテーブルの席がありました。カウンターに座ってしまうとと店主と対峙する格好となり、静かな店内が気まずい雰囲気に包まれてしまいそうだったのでテーブルの席にしました。とにかく私はグルメレポーターでも料理評論家でもなくただ単に空腹を満たすためにここに来たので店主に対して挑戦的な態度をとろうとは思っていません。

 店主が水を持って来たとき私はラーメンを注文しました。店主が厨房に戻ったあと煤けた壁に貼ってあるメニューを見てみました。ギョーザもメニューにあったので奥の厨房に向かって少し大きめの声でギョーザも注文しました。店主からの返事が聞こえなかったので私の注文が伝わったのかどうか少々不安になりました。

 ラーメンが来るまでの間、店に置いてある週刊誌を取ってきてヌード写真等がないかとパラパラとめくって時間をつぶしました。魅力的な水着写真があったのでそれを眺めておりますと、注文したラーメンがやってきました。私は後ろ髪を引かれる思いで何食わぬ顔をしてその週刊誌を閉じました。

 昔バスの中で食べたラーメンの味はすっかり忘れていましたがシンプルで旨かった記憶があります。昨今豚の背油だの必要以上にきざみネギが入っていたりと客の目を引くためあの手この手で色々な具材が入った派手なラーメンが多い中、この店のラーメンはいたって普通です。スープは鶏ガラのようです。味もしつこくなく私の好みです。この店はもっと流行ってもいいのではないかと思いました。

 しかし私の好みというのは万人の好みではありません。私が旨いと思った店に家族を連れて行っても不評を買うことが多く、私の味覚など当てにできません。もしも私が料理店を始めたならいくら私が旨いと思う料理を作ったところで客が来ない閑散とした店になってしまうでしょう。誰も来ない店のカウンターで新聞を読みながらため息をついている自分が見えてきます。

 ラーメンを食べているとしばらくしてギョーザが来ました。注文は伝わっていたようです。

 私はギョーザを一つ箸でつまみタレをつけて口に運びました。あれ、いま私は簡単にギョーザを食べました。他のラーメン屋や中華料理店でギョーザを食べる時にはもっとまどろっこしい動作があったはずです。なんとギョーザを切り離す必要がなかったのです。

 私が行く客の多い店のギョーザはたいていギョーザ同士がくっついていて、箸で切り離して食べています。ギョーザというものはくっついて皿に乗っているのが普通だと思っていました。切り離すのに失敗すると皮がはがれて中の具が露出しタレにつける直前で崩壊し、タレの中にポロポロした具が落下してしまう事があります。タレと具が混ざってしまわないようにおそるおそる具を箸で除去しなければいけません。

 このラーメン店ではその必要がないのです。一つずつ分けて焼いてあるのです。客が多いとそんなまどろっこしい事をやっていると時間と人件費が余分にかかり、ギョーザ一品のせいで客の流れが滞ってしまうかもしれません。

 独立したギョーザは食べやすく余計な神経を使わないですみます。店主もけっこう細かいこだわりがあるのかなと思いました。この店主がもし仕出し弁当屋だったらエビの煮物は殻を剥いてそえてあるかもしれません。

 私はシンプルなラーメンをスープまで全部飲み干し、ギョーザに感心して店をあとにしました。あまり儲かってなさそうな店ではありましたが店のオヤジも諦めずに細々とやっていってほしいです。
 


 
 © 2008 田中スコップ 路上のゴム手
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