一言
軽そうなバケツ 2007.09.24

 そのバケツは私の行く手を遮るようにして職場の薄暗く狭い通路の真ん中に置かれていました。バケツといっても二十リットルのオイル缶を再利用してゴミ箱として使われています。誰かが置いたまま忘れていったのでしょう、非常に迷惑なところに置いてあります。

 その時バケツのことなど気にせずよけて進めば何の問題も起こらなかったのです。

 邪魔なバケツがいつまでも通路の真ん中に置いてあればそこを通行する人が知らずに蹴飛ばしてひっくり返してしまうかもしれません。私はそんな障害物があることが許せませんでした。

 私の気まぐれな正義感からその通路を通る人のためにバケツを端にどかしておいてやろうという考えが浮かびました。自分のことをなんていいやつなのだろうと思いました。

 私はバケツの取っ手を持ちました。

 一見、軽そうなそのバケツ。

 私は気楽に片手でヒョイと持ち上げる予定でした。しかしそれは外見に反して非常に重かったのでした。初めからそのバケツは軽いという先入観を持っていたためそのバケツの重量をナメていました。

 私の心の中ではこんなのが持ち上がらないはずはないと自分の判断を否定せず片手で取っ手を持った不自然な姿勢のまま持ち上げようと試みました。

 バケツは持ち上がりました。しかし重力は非情なもので容赦なく重いバケツを下に引っ張ります。そして事件は起きたのです。

 私の腕がバケツの重さに耐えられなくなり持ち上げたバケツが下りていったのです。そして腰の筋肉に力が入った状態でその筋肉が伸ばされ、

「めきっ」

 という嫌な感じがしました。



 私は今、この文章をパソコンの前で立ったまま書いています。

 腰を曲げる事ができず椅子に座れません。少しでも姿勢を変化させると「ビクッ」と激痛が走ります。座ってしまえば楽になるのかもしれないのですが、姿勢に変化をあたえる動作自体が痛みを伴うので座る勇気がありません。

 私は宝塚歌劇団のような背筋を伸ばした良い姿勢のままキーボードで文字を打っています。なんという華麗な姿勢でしょう。下手な文章もゴージャスになった気がします。ララララー。

 思わず鼻歌がこぼれてきます。ラララッ、うっ、ビクッ。

 調子に乗って両手を広げて鼻歌に振りをつけたら案の定、激痛が走りました。

 こんな駄文など書かずにさっさと寝てしまったほうがいいかもしれません。しかし今の私には横になる勇気さえもありません。腰を曲げずに寝転がるのは至難の業です。腰に負担をかけないようにゆっくりと正座して、あとは運を天に任せて後ろにひっくり返ります。   

 そして一度横になってしまうと体をひねる事ができないため寝返りも打てず、ずっと仰向けで天井を見ているしかありません。じっとしていれば痛くはないので知らないうちに眠りについています。

 しかし毎日朝はやってきます。寝たきりでいたら食っていけないのでここは根性を出して起き上がり、仕事に行かなければいけません。ソフトボール用の金属バットを枕元に置いておき杖代わりにして時間をかけて起き上がります。枕元に金属バットというと非常に危険な感じがします。

 靴下を履くときは足元まで手が届かないので朝っぱらから迷惑そうな顔をした家族に手伝ってもらいます。自動車に乗るのも一苦労です。ドアを開けてヘビのようにズルズルと腰を曲げずに乗り込み、時間をかけて座席に座ります。

 普段なんでもないような動作が今の私にとってはたいへんな重労働です。いつまでこの腰痛が続くのか。腰を激しく使う性行為はおろか自慰行為さえもできません。腰痛のために数少ない楽しみが失われています。もしも私がこの状態で死んだなら、

「腰が痛いよー。うらめしや」

 と言って化けて出るかもしれません。忌々しいバケツを無理して持ち上げたあの瞬間がなければ私は何事も無かったかのように普通に生活しているはずです。ああなんと苦しく悲しい人生なのでしょう。シクシク。

 とここまで書いてやめたのが四ヶ月ほど前のことです。あまりにも鬱陶しい文章になってしまったので、こりゃーだめだなと一度はボツにしました。あの時は本当に再起不能になるのではと危惧しており冗談ですまなくなる可能性があったのでした。

 そして直るかどうか半信半疑でフェルビナクだのインドメタシン配合の市販のシップ薬を数種類買い込み、色々と試してみました。その中から効きそうなやつを三週間ほど貼っているといつのまにか「ケロッ」と治っていました。  
 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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