一言
線路 2007.05.14
 

 幼い頃今はなき祖母と一緒に列車に乗っておりました。その列車は蒸気機関車かディーゼル機関車かは定かではありませんが、電車機関車ではなかったように思います。

 まわりには祖母の知り合いらしき人々がいて、今考えると社員旅行のような雰囲気です。なぜ子供の私が祖母と一緒に社員旅行に紛れていたのかはよく分かりません。列車の窓から外を見ると既に辺りは暗く、田舎を走っていたのか家の明かり等は全然見えませんでした。ただ列車の窓から漏れる光で近くの草むらが過ぎてゆくのが見えました。

 私は列車の窓から変化に乏しい真っ暗闇を黙って眺めておりました。駅弁の釜飯を食べてもあまり味がよく分からず、蓋がコップになったプラスチックの容器に入ったお茶を時々飲んでおりました。

 私は不意に尿意をもよおしました。しかし幼い日の私にとってはその列車のトイレがどこにあるのかわからず、大勢の乗客の間を通って歩いていくのも心細かったので、

「ばあちゃん、しっこ」

 と祖母に訴えました。祖母と私は席を立ち列車の通路を歩いていきました。私が先に進み、祖母が後からついてきました。先頭車両にいた我々は後ろに向かって進みました。しかし次の車両に行ってもトイレはなく、しかたがないのでまた次の車両に移ります。

 客車の継ぎ目にはアコーディオンの蛇腹のような通路があります。床に重なっている鉄板は鈍い銀色をしていて列車の揺れにあわせてずれたり伸縮しています。そんな固い塊である列車の継ぎ目はまるで生き物の内部ように動いています。幼い私はその列車の継ぎ目が怖くて次の車両へ移るたびにその継ぎ目をおそるおそる歩いていきました。

 しかし行けども行けどもトイレらしき物はありません。しかも駅に止まるとホームからはみ出してしまうのではないかと思えるぐらい長い列車です。私はもう我慢ができそうにありません。

 涙目になりながら次の車両に移ろうとしてドアを開けた時、そこから先が何もありませんでした。目の前には真っ暗な景色と客室の明かりに照らされて足元を次々と過ぎ去ってゆく線路が見えるだけです。

 危うく線路に落ちてしまうところでした。私は立ち止まり後ろを振り返りました。そこには私についてきてくれた祖母がいて、

「そこからしなさい」

 と言うではありませんか。あまり出口ギリギリに立つと危ないし、客室のほうへ引っ込みすぎると床を汚してしまいます。祖母は私の背中を掴み、落ちないように持っていてくれるというので意を決して半ズボンのチャックを下ろしました。

 足が悪い祖母がはたして私が用を足す間持ちこたえてくれるのでしょうか。少し心配でしたが既に我慢の限界に来ていた私は足元の線路を見ながらとうとうオシッコを始めてしまいました。なんとも気持ちよくオシッコが線路に落ちてゆきます。

 そこで私の目が覚めました。ああまたやってしまった。私は飛び起きて布団をめくり確認します。敷布団も掛け布団もどちらもやられています。私はこっそりと下着を着替え、布団をひっくり返してまだ濡れていない部分にくるまって再度寝たのでした。

 これが私が幼い頃の最も鮮明に思い出せるオネショの記憶です。


 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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