一言
バイク免許その7 2007.05.01
 

 ちゃんとしたインストラクターの指導を受けると今まで自己流でバイクの大型免許を受験していたのが恥ずかしいほど自分の下手さ加減が実感できました。コース内をインストラクターについて走るのですが全然追いつけません。安全運転だけを教えるのだとばかり思っていましたが、かなり飛ばします。私も時折タイヤが滑って危うく転倒しそうになりました。

 ある程度は自分が思ったとおりにバイクを操れなくては合格は難しいようです。しかし大型バイクといっても基本的にはクラッチつきの原付と操作は一緒です。ただ動かすだけだったら誰でも乗れます。逆に大型バイクに乗りなれていて、たまに原付スクーターで国道を走ると自動車にビュンビュン抜かれて非常に怖いです。しかも小さいスクーターは足周りがフニャフニャなので大きなバイクの気分でコーナーを曲がろうとすると車体がユラユラと不安定な感じがしてこれも少々怖いです。

 私が思うに結局、ある程度大きなバイクのほうが自動車と速度差もなく車体が安定していて安全な気がします。制限速度30キロの現実的でない速度規制がかかった原付のほうがもっと安全に走る技術が必要なのではないでしょうか。原付バイクは手軽ですが決して安全な乗り物だとは思いません。原付免許こそもっと難しくすべきなのではないでしょうか。さもなくば原付では制限速度30キロ以上の道路を通行できないようにすべきです。

 私が大型免許を受けていた時代は大型バイク受難の時期でした。趣味性の高い大型バイクなどはこの世の中に不必要と当局から思われていたのでしょうか。いくら免許を厳しくしても無免許で乗っている暴走族には関係ありません。たかがバイクに乗るのに教えてくれる公認教習所も無く、試験場でしか免許試験を受けられないのでは合格率が低いに決っています。

 私はレインボーモータースクールで練習して、ある程度はタイヤが滑っても転倒せずにスラロームを抜けることができるようになりました。白バイ隊員でもないのにそんな技術を使う場面があるのかと疑問に思っていましたが、埼玉の大宮試験場ではそのくらい練習していないと落とされてしまいます。


(昭和58年9月10日 手元に残っていた8回目の受験票 16番を消して8番となっているのは受験の予約をしていても来ない人がいるので番号が繰り上がっているためです)

 正直言って10回落ちたら埼玉の試験場で受けるのを諦めようかと思っていました。それに受験するたびに合格者ゼロだったので、受験者は皆わざと難癖つけられて落とされているのではないかという疑問も湧いてきました。

 しかし忘れもしない9回目の受験の日です。その日は小雨が降って路面が濡れていました。こんなコンディションでスラロームに入ると転倒しかねません。受験番号はその日に限って25人中25番で私が最後の受験者です。私の前の受験者達はほとんどスラロームまでたどり着けず途中で帰らされています。運良くスラロームまで行った人も全てそこで帰らされました。落ちた人は一人二人と試験場の建物の中へ帰っていきます。

 そして私の番が来ました。私は試験官の指示に従い安全確認をして発進しました。法規運転はそれまでの受験経験からなんとかクリアーし、いよいよスラロームの発進位置までやってきました。ここを抜けると帰らされるんだろうなと半分諦めの気持ちでしたが、路面が濡れている分慎重に運転しないと本当に転倒したら困ります。なるべくタイヤを滑らせないように少し押さえてスラロームを走り抜けました。

 私はスラロームの終点で止まって試験官からの指示を待ちました。大抵の受験者はここで帰らされるので私もどうせ出発点に帰れと言われるに決っています。

 ところが試験官は次の急制動の課題に進むように指示するではありませんか。いつもの不合格癖で気分はすっかり出発点に戻っていたのですが次の課題に進むという現実を認識するには3秒ほど時間がかかりました。

 あれおかしいな、試験官の気まぐれにしては冗談が過ぎるのではないのでしょうか。と思う間もなく心臓がドキドキし始めました。もしかして後の急制動の課題がうまくいけば合格? にわかに緊張感が走りました。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて最後の急制動を終え出発点に戻りました。

 コースから屋内に戻り合格発表の掲示板前で待ちます。そしていよいよ発表の時間が来ました。しかしなかなか番号が出ません。やはりあれは試験官のジョークだったのかと期待もせずに掲示板を見ていると私の番号が書いてある札がパタリとひっくり返りました。紛れもなくそこには私の受験番号025だけが表示されています。

 あ、出た。次の瞬間、私は恥も外聞もなく飛び上がってガッツポーズをしてしまいました。次の試験の予約のためにそこに残っていた数名の受験者と両手で握手をしました。そして受付に受験票を持って行き免許証の裏にハンコを押してもらいます。


(その当時の免許証裏側のコピーです。↓拡大画像)


 「58.9.20 自ニ車限定解除 埼玉公委」 とハンコが押してあります。たったこれだけのハンコのために毎回何十人も受験しては玉砕していました。

 何回も受験していると一時的に知り合いも増えました。同じ時期に受験していた人と話す機会もあり、中には仕事をやめてまでこの限定解除に挑戦していた人もいました。たかが大型バイクの免許のために人生を棒に振っています。

 かくいう私も6月から9月にかけてバイク免許のことばかり考えて、9月前半にあった前期試験は全然勉強などせずに受けていたので肝心の大学の単位をほとんど落としてしまいました。そして結局大学2年生をもう一度やるはめになってしまいました。完全にバカです。

 バカがもう一人、免許を取る前にバイクを買った友人は事故でそのバイクを全損し、腰の骨を折るなどして生死の境をさまよったあげく翌年見事復活し、私と同様もう一年同級生となりました。さすがに彼はバイク免許を諦めましたが今度は4輪でぶっ飛ばしていました。今度事故すると彼は確実に車椅子に転向です。

 それからは大学卒業までの苦難の道のりを歩む事になるのですがそれはまた別の機会に……。

*** バイク免許 <完> ***


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