一言
バイク免許その4 2007.03.18
 
 バイクの中型免許を手に入れ入学式に間に合った私はようやく大学に通い始めました。とりあえず親の思い通り家の仕事に関係する学科に入ってやったので学費と仕送りは卒業するまでは心配いらないようです。その当時は家業も順調だったのです。

 親元から離れ、いくらでも自堕落な生活を送れる自由を手に入れましたが、安アパートの一室で何もせず膝を抱えてじっとしているのは耐えがたい苦痛です。学校に行くのは面白くないのですが部屋にこもりっきりでいるよりは多少ましなので、いつか辞めてやると思いながら毎日大学に通っておりました。

 特に勉強が好きでもなく、ましてや希望する学科ではなかったため、いつまでたっても全然やる気が湧いてきません。私は親から仕送りをもらって遊んでいるようなものです。自分で言うのもなんですが私はとんでもないドラ息子でした。

 中型免許を手にすると中型バイクに乗りたくなるのが人情です。私は入学時に困ったときのためにと親から余分に渡されたお金を持ってバイク屋に行きました。そして店の駐車場の片隅でで雨ざらしになっていたボロボロのGL400という非力なくせに車体は重い不人気車を見つけました。長い間買い手もなく放置されているようです。私は安くて実動の中型車であれば練習用になると思ったので車検代程度の値段で入手しました。

 今にして思えば大学に入ってもやる気のない雰囲気を撒き散らしていた私は真面目に通っている学生から見ると何か勘違いして大学に来ているように見えたのではないでしょうか。高校で落ちこぼれ癖がついてしまい、このままでは後の人生が思いやられます。

 しかし自由なうちに大型のバイク免許だけは取得しておきたいと思っていました。1980年代始めの当時、大型のバイク教習が無く直接運転免許試験場に行って実技試験を受けなければいけませんでした。バイク雑誌を読むと私が受けようとした埼玉県の大宮試験場での合格率は極端に低かったように記憶しています。大型バイク受難の時期でした。よくバイクメーカーが我慢していたのだと思います。

 時間があってもあまり難しいとなかなか試験を受けに行く勇気が湧いてきません。あっという間に一年が過ぎ大学二年になってしまいました。私が通っていた大学はいくら単位を落としても一応二年には上がれます。この調子では三年になれそうも無かったので親に仕送りを打ち切られてしまわないうちに免許だけは取っておこうと思いました。いざ社会人になってしまうと自由な時間が取れずにバイク免許どころではなくなります。

 もうすでに学校などどうでもよくなった私は試験場に通い始めました。ただ毎日試験があったわけではなく、一週間か二週間に一回ぐらいの頻度だったので試験の無い日はいく所がないので学校に通っていました。

 試験の記念すべき第一回目は土曜日でした。まずは事前審査からです。倒れたバイクの引き起こしと車両の取り回しです。試験場の一角に古いCB750FUが転がっています。試験官は受験者にそのバイクの引き起こしを命じました。受験者が番号を呼ばれ順番に起こしていきます。中には起こせずに失敗してその時点で試験中止になる人もいました。外見からではそんなに重そうに見えず失敗する人はさぞ非力なのだろうと思っていました。

 しかしいざ自分の番になると、思った以上に重いことに気づきました。これはやはり噂に聞いていたガソリンタンクに砂かコンクリートを詰めた車両ではないかと思いました。しかしその場でタンクキャップを空けたわけではないので確認は出来ませんでした。しかも試験官は受験者達に納得いくまで数回引き起こしを命じました。一回起こせば確認できるはずなのに闇雲に受験者の体力を奪っているようにしか思えません。

 私はなんとか引き起こしの審査を通過しました。そして次は取り回しの試験です。それはバイクを8の字に押して歩く審査です。私の前の受験者までは押し歩きでしたが、私の番になって押して歩いていると突然試験官が

「走れ」

 と命じました。なぜ私の番からそんなことを言うのか理解に苦しみましたが、受験者という弱い立場であるので理不尽とは知りつつ言われるままに走りました。試験官は人をおちょくっているのでしょうか、なかなか止まれとは言いません。私がバイクを押して走っている最中、試験官はニヤニヤと笑っていたような気がします。

 事前審査が何とか終わり、今度は実際にコースを走る審査です。試験車両はCB750Fでした。初めて乗る大型車両です。コースを事前に覚えていたのですが、緊張して舞い上がってしまいコースミスをして安全確認もろくに出来ずコースに復帰する前に試験中止になってしまいました。

 その日は八十人ぐらいの受験者がいましたが、合格者は一人もいませんでした。この確率だと合格は絶望的です。大宮試験場はなんだかんだと理由をつけて合格者を出さない方針なのでしょうか。本来ならばどの試験場でも審査に差はないはずなのに場所によって合格率に雲泥の差があります。

 三回ほど立て続けに落ちました。私は全然練習せずに試験に臨んでいるので当たり前です。行き当たりばったりに受験していたら何度受けても落ちるに決っています。

 何度か試験を受けているとほとんどの人が試験中止になる箇所がわかりました。それはコーンが等間隔に置かれていてぶつからないように左右に切り返しながら通過するスラローム課題です。やっとスラロームまでたどり着いてもそのスラロームが終了すると皆出発点に帰らされます。かなり上手な人もそこで落とされていました。

 試験官はストップウオッチでスラロームのタイムを測っています。何秒以内がクリアになるのか説明はありませんでしたがかなりタイヤの限界付近を使わなければ出せないタイムだというのは確かなようです。試験中に無理して転倒する者もいたように思います。コース内の試験にしては少々荒っぽい気がします。受験者が怪我でもしたら誰が責任を取るのでしょうか。

 しかも試験車両は白バイ隊の訓練にも使用しているらしくリアタイヤの真ん中だけが残り、タイヤの両サイドだけが極端に減っている車両もありました。ただでさえ慣れていないバイクに乗っているのにそんなタイヤでスラロームに入るのは少々勇気がいります。もっともそのバイクでスラロームまで行くことができた受験者はあまりいなかったように思います。そういうバイクに当たった時点で受験料をドブに捨てたようなものです。警察相手なのであまり文句を言う者もなく、試験が済んだら次の実技試験の予約を取りブツブツ言いながら帰っていきます。

 スラロームを超えると後は急制動を済ませて出発点に帰り、合格という事になるのですが。数回試験を受けた中で一度も急制動に進んだ者はいませんでした。いったい大宮試験場で大型バイクの合格者は存在するのでしょうか。たまたま私が受けるときだけ合格者がいないのでしょうか。

 このままでは絶対に無理だと思ったので私は練習を始めました。

      ……次回に続く……



 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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