一言
存在 2007.02.05
 存在の「存」と「在」はなんだか似ています。もし私が日本語を知らない外国人なら存も在も見分けがつかないでしょう。ただ単に活字の誤植だと思うかもしれません。それはあたかもロックに興味がない人が聞くパンクとヘビメタの違いぐらいわかりにくいものです。

 二つの漢字の意味を調べてみるとどちらも「ある」とか「いる」とか似たような意味です。私の理解力が不足しているのかもしれませんが辞書を読んだ限りでは意味の違いがはっきりとはわかりませんでした。

 似たような意味の字を二つ繋げた言葉は他にもあります。例えば「沈没」。「沈む」「没する」どちらを使っても意味は通じるのになぜ二つ繋げるのか釈然としません。そこで「沈没」イメージを思い浮かべてみました。

 漢字が二文字なので少し難しい印象を受けます。「船が沈む」と言うと天気のよい日に船の底にある栓が抜けて浸水し甲板で乗組員が慌てているような幾分逃げ道がありそうな印象を受けます。一方「船が沈没する」言うと嵐の暗闇で巨大なタコに巻かれたような悲惨な状況を表現しているような気がします。さすがに文字を二つ繋げているだけあって「沈む」より「沈没」の方が豪華な感じがしてきました。

 ところが「存在」という単語は「沈没」のように差し迫った危険を表現しているわけでもなくただ単に視覚的に似た漢字を二つ繋げているにすぎないように思えます。わざわざ紛らわしい二文字をくっつけると間違いの元です。実際に私は学生の頃ノートに「存在」と書こうとして「在存」と書いてしまいました。そのときはすぐに間違いに気づいたのですが筆を止めてその「在存」という文字をじっと凝視していますと段々とわけがわからなくなってきました。

 皆さんも試しに「存在」「在存」「在存」「存在」「在存」「存在」「存在」「在存」「在存」「存在」「在存」「在存」「存在」「在存」「存在」「在存」「存在」「在存」「存在」「在存」「存在」「在存」「在存」「存在」「在存」「在存」と読んでみてください。一瞬どっちが本当の「存在」なのかわからなくなって意味を見失ってしまいませんか。

 私は最初に「存在」という単語を作った人はよくもまあ似たような意味で似たような形の字を探しくっつけたものだと感心してしまいます。「沈没」や「転覆」、「旋回」等の明らかに見た目が違う文字が連なっているほうが意図的に作られた感じがしません。それらは漢字を使って表現しているうちに自然発生的に出来たような単語に思われます。

 しかし「存在」はその二つの文字が似ているため整然とした印象を受けます。まるでストーンヘンジやイースター島の巨石像のように何者かによって意図的に作られたものように思えます。それ故に「存在」という言葉は真っ白な部屋の真ん中に置かれた石膏で作られた野球のボールのように人工的に整った文字だと思います。

 「存在」は哲学的な言い回しとして重宝されていそうなので、「存在」を文章の中で多用すると私が書く意味不明な文章でもかなり知的で難解な感じになるのではないでしょうか。似たような意味の文字が続いているだけなのに不思議です。あまり考えすぎると頭が頭痛で痛くなって背中の背筋が攣ってしまいそうです。


 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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