一言
ハードル 2007.01.28

 前回の続きです。

 高校の陸上部で怖いもの知らずの新入生だった私は走り高跳びで一回もバーを越えられず、高飛びは断念してハードルに挑戦する事になりました。短距離や長距離をただ走るだけの競技では意思の弱い私では練習が続かないと思ったので少しでも変化のあるハードルを選んだのでした。

 既にインターハイの予選は終了していたので今度は国体の予選です。さすがに上位入賞は無理だと思いましたが完走は出来るのではないかと思いました。そして百十メートルハードルを選んだ私は早速練習を始めました。

 体育倉庫からハードルをゴソゴソと取り出して置いてみました。それは高さが変えられるようになっています。ハードルを一番縮めた状態で飛んでみると簡単に超えられますが、一番高くすると一メートルを超えてしまいます。私の足の長さでは少々高すぎるのではないかと不安になりましたが、まさかそこまで高くする必要はないだろうと思っていました。しかしなぜそのハードルはそこまで高くすることができるのだろうかと思うと、いやな予感を感じ始めました。

 陸上部には過去にハードルを飛んでいた先輩はいたようですが、そのときはハードルをやっている先輩がいなかったため指導できる人はいません。顧問の先生は精神論は説いてくれましたが具体的にどうやるかは自分で調べるしかありませんでした。そのとき少しでもアドバイスできる人がいると私は百十メートルハードルには出場しなかったかもしれません。

 そもそも百十メートルという中途半端な距離は何なのでしょう。理解に苦しみます。校庭で百十メートルの距離を取れない事もなかったのですが、ぎりぎりの距離だったので百十メートル走った後に減速する距離が足りません。学生会館の角にぶつかってしまいそうです。しかもグランドは陸上部のためだけにあるものではないので、ほかにもサッカー部等が練習しています。

 校庭の真ん中にハードルなど立てられないので十分な距離を取れないまま練習をしなければなりません。何も要領を知らない私は時々現役部員をしごきに来ていた無職なのに自信に満ちている不思議なOBの方のハードルの事を聞いてみました。どうやら国体の予選は学校にあるハードルを一番高いところにセットしなければいけないようです。いやな予感が的中しました。

 私よりもっと背が高く、足が長い選手なら軽く飛べそうなのですが私には高すぎます。不安ではありましたが乗りかかった船だと思い、棄権することなく出場することにしました。

 校庭の端で三十メートル程の距離が取れました。そしてそこに一メートルを超える高さのハードルを立てて練習を始めました。最初は高すぎて足が当たりハードルを倒してしまい十分なスピードが出ませんでしたが、暫くすると短い距離ではありましたが飛べるようになりました。もしかしてこれはいけるのではないかと自分のジャンプ力に多少の自信が見えてきました。

 国体予選の当日まで短い距離で練習を重ねていましたが本格的に百十メートルもハードルを越えながら走っていません。実質的にぶっつけ本番のようなものです。しかし何個かハードルを越えられたのだから何とかなるだろうと気楽に考えていました。五十メートルも百メートルも似たようなもので五十歩百歩です。

 いよいよ私の順番が来てスタートラインに立ちました。整然と並べられたハードルの向こうにあるゴールがやけに遠く感じます。横に並んでいる他の選手を見ると、みんな私より背が高く、いかにも短距離走の選手らしい人たちばかりです。中には全国レベルの選手もいます。

 スターティングブロックにスパイクを履いた足を乗せました。心臓の鼓動が高まります。緊張で息苦しく感じます。走る前から疲れて体がだるいような気になってきました。とにかくここまで来るとスタートするしかありません。とにかくゴールを目指すのみです。

 「用意」と声がかかりスタートのピストル音が聞こえました。一斉にみんな走り始めました。私以外の選手はみんな速いです。あっという間に置いていかれました。

 私は一人黙々とハードルを越えていましたが、練習では走ったことがない距離です。最初の何個かは越えていけたのですが途中からハードルを超えようと思っても足が上がらず足に当たって倒してしまいます。足に当たって倒すのは失格にはなりませんがスピードには乗りません。

 当然の事ながら私は一番最後尾です。とうとう最後のハードルの手前で止まってしまいました。何とか飛び越えられないものかと数歩下がって飛ぼうとしましたが超えられそうにありません。まわりで見ている人たちから「がんばれ」という声が聞こえてきます。他の選手達はとっくの昔にゴールしています。

 ああもう駄目だという諦観が私を支配しはじめました。その時、私は自分でも信じられない行動を取ってしまいました。高いハードルの前に立ち手でそのハードルを押して倒してしまったのでした。ゴール前の審査の方が赤い旗を振っているのが見えました。それは失格を意味しています。

 私は倒れたハードルを超えてゴールしました。赤旗を出した方が私に近づいてきて私の耳元で忠告してくれました。

「超えられないと思っても手で倒しちゃまずいよ。足で蹴って倒せば失格にならなかったのに。遅いなら遅いなりに記録が残ったのにもったいないよ」

 自分でもなぜそんなことをしたのか今もって謎です。それ以来、短距離のハードルは自分に合わないと思って出場を諦めました。なかなか思い通りにならないものです。それから三年生の引退の時期まで自分の種目をもっと低い四百メートルハードルにしたのでした。

 当然華々しい選手生活が送れるはずもなく泣かず飛ばずの三年間を送ったのでした。



 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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