一言
走り高跳び 2007.01.20

 私は運動が得意ではありません。以前この「一言」で毎日自転車に乗っていると書きましたが、最近は寒いのであまり乗っていません。体を動かさないのでお腹が出る一方です。中年太りなのでしょうか。実家にあった学生時代の写真を見たのですが、まるで別人のようです。自分は意思の弱い三日坊主だと自己嫌悪に陥っております。

 運動音痴の私でも小学生の頃は柔道、中学生になると柔道とバレーボール、高校では陸上競技をやっておりました。しかし当然の事ながらどの競技も目立った成績は残せませんでした。

 高校時代、私は入学してすぐに陸上部に入部しました。そのクラブは一年生にもかかわらず実力の如何を問わず希望さえ出せばどんな競技にでも出場させてもらえました。入部即レギュラーです。インターハイの予選に備え私は走り高跳びに出場しようと思い、練習を始めました。

 練習といっても部内に走り高跳びをやっている人がいなかったので誰も教えてくれません。しょうがないので自己流の練習を始めました。私のほかにもう一人の一年生が出場を希望していたので二人で練習です。そいつも走り高跳びの経験はありません。口だけは達者で理屈は非常に立派な奴でしたが、言葉と行動が同調しないため、記録は私とたいして変わりません。どんぐりの背比べです。

 もちろん背中からバーを越えていく背面飛びなど怖くて出来ません。迷わず前向きで飛んでいくベリーロールの練習に専念しました。そして六月頃のインターハイ予選までになんとか百五十センチぐらいまでは飛べるようになりました。

 予選会場は国体にも使われた立派な陸上競技場です。

 そこはゴムのトラックで非常に弾力性があり、スパイクを履いてピョンピョン飛んでみると普段より心なしか高く飛んでいるような気になりました。もしかすると火事場の馬鹿力が出て、練習の時よりもっと飛べるのではないかと淡い期待をしてしまいました。

 そして走り高跳びの集合時間がやってきました。私達は高飛びのバーが設置してある所に行きました。そこに集合している他校の選手を見てみるとすぐに私は失敗したと感じました。私達よりずっと背が高い人間がズラッと並んでいます。中には全国レベルの選手もいます。私達は場違いな所に来た事を激しく後悔しました。

 全員集合して点呼が済んだ後、選手達は思い思いに柔軟体操をしたり、助走の練習をしています。手足が長い連中はちょっとした動作でもスピードを感じさせます。体があたかもバネで出来ているような連中です。しょうがないので私達も柔軟体操でもするかと、かわりばんこに固い体を背中から押してみたり、ぎこちないスタートダッシュの真似をしました。

 いよいよ競技本番です。係員の方がポールにバーを取り付けました。一番最初が170センチです。それは私達がまだ飛んだ事のない高さです。私の身長が169センチなので、私の背丈よりは少し高い位置です。一番最初はもっと低くしてくれなければ記録すら残せません。その高さを飛ぶ事は無理です。

 係員の方から順番に名前を呼ばれます。他校の選手達は170センチぐらいの高さなど眼中に無く、私達の前の選手は全てパスしていきます。そして私の名前が呼ばれました。パスなど出来るわけもなく諦めて飛ぶ事にしました。祈るような気持ちで助走をつけて飛んだのですが、当然のようにバーに接触して落としてしまいました。練習で飛べないのに本番で飛べるわけがありません。もう一人も飛びましたが当然引っかかって落としました。

 私達の後に飛ぶ選手も全員がパスしたので、すぐに私の順番です。飛べないのがわかっているのに高飛びのバーに挑んでいくのはまるでドン=キホーテのようです。

 結局私達は周りの選手から冷ややかな失笑を買っただけでした。早くその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいです。私達二人だけが早々と三回の試技に失敗し、失格が決定しました。そして私は走り高跳びではまるで歯が立たないことがわかったので早々と走り高跳びの選手生活を諦め、ハードルへと転向を決意したのでした。


 © 2007 田中スコップ 路上のゴム手
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