一言
バイク免許その3 2007.01.03

 高校の卒業式が終わって学校に没収されていた原付免許を返却してもらい、私は中型免許を取得するため教習所に通い始めました。その当時は現在のバイク免許のように普通二輪、大型二輪という分け方でなく自動二輪免許の中で小型、中型、限定なしという風に分かれていました。例えば中型免許の場合、免許の条件等の記載欄に自ニ車は中型に限ると書いてありました。

 卒業式が終わるまでに免許を取得する環境を整えるため、私は大学入学が決定するとすぐに上京し大学の近くでアパートを探し住む場所を確保しました。そして卒業式まで絶対に学校へは行こうとは思わなかったので急いで高校時代の下宿を引き払い、実家に帰ってじっと潜伏しておりました。

 卒業式が終了して実家に帰るとすぐに二年以上ガレージで眠っていた愛車XE50のエンジンの息を吹きかえらせました。自由の翼の復活です。受験旅行のとき買ってきた少々近所迷惑なマフラーを装着して私は近所を走ってみました。少し走るとクラッチ操作の感覚が戻り、始動の時にエンストしないようになりました。

 なんとか教習所のバイクに乗れそうです。私は免許証と下宿時代にもらっていた仕送りの一部をこっそり貯めていたお金を財布に入れ、堂々とバイクに乗って教習所の取次ぎ所に行き、中型二輪免許の申し込みをしてきました。

 一番近くの自動車教習所は家から15キロメートルぐらい離れています。そこには地元の学校を卒業して就職する同級生がすでに普通自動車免許を取得するため多数通っておりました。3月という時期、教習所では自動二輪免許を取得する同級生はほとんどいません。みんな就職の準備で自動車免許の教習を受けているのです。

 普通は教習所の巡回バスに乗って通うのですが、同級生の就職組に混ざって私だけがうわついた気分の学生になるのだと思うと負い目のようなものを感じ、バイクに乗って通うことにしました。しかしそれが功を奏したのか実技教習が始まるまでに原付ながら大分バイクに慣れました。

 その時期、教習所は自動車免許のほうが忙しいのでバイク免許などにあまり構っていられないようでした。その当時中型免許の教習時間は今の普通二輪よりずっと短い時間数だったと思います。しかし教官がなかなかバイクの教習時間を作ってくれないので実技教習の時間が二日に一時限ぐらいのスローペースです。

 結局、卒業検定が四月にずれこみ、大学の入学式が間近となってきました。向こうのアパートの大家さんからいつ引越しするのだと毎日のように確認の電話が入ってきます。一時限でも補習を行うと卒業検定を受けられないまま上京しなければいけなくなります。教習を諦めて運転免許試験場での一発試験に賭けてみるかと思いましたが、補習を受けるぐらいの実力では受かりそうにありません。

 ドンくさい私でもそのときばかりはなぜか集中力が高まり、失敗なしに教習をクリアしていきました。この集中力があればもっと勉強が出来ていたのではと悔やまれます。

 四月になり教習生が少なくなった寂しいコースで数名の物好き達が卒業検定を受けました。その中の一人が一本橋で脱輪し、試験中止となってスタートラインに帰ってきました。

 緊張が高まります。

 本番に弱い私の心臓の鼓動が高まり、軍手をはめた手のひらに汗がにじみます。頭の中では卒業検定のコースを必死でイメージトレーニングしていました。

 私の番が来ました。安全確認をしてバイクに跨り発進しました。コース上にいるのは自分一人だと思うと心細くなってきます。緊張で何がなんだかよくわからないまま規定のコースを走り、一本橋で脱輪することもなく気が付けば元の位置に戻っていました。完走したのです。

 結果は合格でした。時間の制約が無い普段の私だったら何枚も補習券を使っていたことでしょう。まったく信じられません。

 翌日、学科試験を受けるため運転免許試験場にバスで行きました。そこは高校に原付免許を没収される以前に小型二輪の実技試験を六回も落とされた忌まわしい場所です。そのときの屈辱に一矢報いるべく勉強していったので難なく合格です。そのときの集中力が学校の勉強に生かせていたらと思うと大変悔やまれます。

 ギリギリセーフで入学式に間に合いました。大学に入学した後、大型二輪の取得にもチャレンジしたのですが、それはまたの機会に……。

 © 2007 田中スコップ
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