一言
水害 2006.12.04


 私が小学生の頃、連日の降雨により水害が発生したことがありました。私の記憶が定かでないため人に聞いたことや多少の推測も交えています。

 水害が発生したのは梅雨が明け切らない七月上旬のことでした。連日雨が降り続いていました。

 その頃は堤防の護岸が未整備でした。上流のダムの水位が上がりダムが耐え切れないと電力会社が判断したため放水を始めることになりました。実際に川の近くに行くのは大変危険だったので私は川の様子は見ておりませんがただでさえ高い水位がさらに増水して市街地に流入しそうな勢いだったらしいです。町内の有線ラジオ等で住民に避難命令が出ました。

 消防団の方々が町内の人に早く避難するようにと言って巡回していたそうです。私の親は畳や家財道具を少しでも高いところに置いてから避難したかったらしいのですが、消防団の人たちがあまりにもしつこく避難勧告したため仕方なくそのままにしてしまったと言っていました。消防団の人も住民が全員退避したのを確認して報告しなければならなかったらしく、我々家族が逃げないと彼らも避難できないようでした。この緊急時に消防団と言い合っても仕方が無いので私と家族は近くの五階建ての病院に避難しました。

 すべては夜に起こった出来事でした。ダムの放水を知らせるサイレンが聞こえてきました。外が暗いせいで何がなにやらわからず病院の窓から外を見ても雨が降っていること以外特に何も起きていないような様子でした。近所の友達も一緒に避難していたのでまるでキャンプをしている気分です。只ならぬ状況で興奮しているせいか駄洒落が次々と頭に浮かんできます。冷静に考えるとあまり面白くない駄洒落でも妙に爆笑してしまいました。

 私達が避難していたのは確か病院の四階の廊下でした。配られた毛布にくるまっていましたがなかなか眠れません。眠れないというよりは友達と無駄話をするのが楽しくて寝たくなかったのかもしれません。しかしあまり騒ぐと大人たちに怒られるので最後は寝たフリをしていましたが、生まれて始めて徹夜を経験するかもしれないと思うと夜が明けるまでは意地でも起きていようと思っていました。後に社会人になり徹夜などふんだんに経験できたのに意味無く起きていたのは贅沢な話です。

 やがて夜が白々と明けてきました。私は外の景色を見ようと起き上がりましたが、近くの友達も似たような事を考えていたのかいっしょに起きました。そして病院の窓から山を見るとあちらこちらで土砂崩れが起きています。

 近くの墓地がある斜面も土砂崩れで大量の墓石が倒れ、土砂に流されています。もしかすると墓を失った霊が彷徨っているかもしれないと、友達といっしょに病院の窓からドキドキしながら墓地を見ていました。しかし一向にそれらしきものは現れません。せめて人魂でも見えないかと粘っておりましたが結局眠くなってしまいました。

 私が眠りからさめると日がすでに高くなっていて、外を見ると町中が水浸しです。家々は巨大な池に点在する島のようになっておりました。当然学校は休みです。私と家族は普通の長靴が意味をなさない膝ぐらいまである水位の中をザブザブと歩いて家に戻りました。家の壁には濡れたところと乾いたところの境目が見えていてはっきりと床上浸水ということがわかりました。

 当時は浄化槽などは無く、汲み取り式便所ばかりだったので濁った水には当然汚物も混ざっているはずです。床下に保管してあった大量の漬物はすべて廃棄です。泥で汚れた畳も使い物にならず、タンスの下のほうの引き出しにあった衣類は全滅です。両親はその後、畳がまだ使えるのではないかとかなりの時間干してみたそうですが中身の藁が乾かず腐食しはじめたので、結局水没した畳は全部捨てたそうです。衣類は洗濯しても汚れが落ちず、かなりの量を捨てたと言っていました。

 昼間は雨も上がり私は町全体が池のようになったのを見るといてもたってもいられず、運動靴を履いて外に出ました。大人達は大変そうでしたが、子供の私は気楽なものです。さすがに濁流となって流れ続ける川に行くのは怖いのでやめましたが、近所を楽しげにジャブジャブと歩き回っておりました。

 しかし歩くだけだとつまらないので今度は自転車に乗ってみる事にしました。私は自転車を出してきてこいでみました。激しくこぐと後ろタイヤからの水しぶきが噴水のように上がっています。これはなかなか面白いぞと、調子に乗ってさらにスピードを上げてみます。すばらしい水しぶきがあがります。私は家のまわりを暫く行ったりきたりして遊んでおりました。

 調子に乗っているときほど間抜けな事件が起きやすいものです。私が闇雲に自転車をこいでいると、近くにいた大人の人が大声で私に向かって”危ない!”と叫んでいます。

 なにが危ないのだろうと思いましたが気にせず前進しました。すると急に自転車の前輪がガタンと下がり次の瞬間、私は自転車もろとも濁った水の中に水没してしまいました。

 普段は見えている深い溝が、水が濁っていたためわからなかったのです。私は自転車といっしょに溝にはまっていたのでした。注意してくれた大人が笑いながら私の腕を引っ張ってくれました。私は溝から上がり口の中に入った汚い水を吐き出しました。少し膝もすりむいています。私は自転車を押して家に帰りました。

 同じ時期、川向こうに住んでいた私の友達が行方不明になっていて彼の親が息子を知らないかと探していました。私は前述のように一人で遊んでいたので当然彼がどこにいるのか知る由もありません。近所に緊張が走ります。暫くたって彼は消防団によって発見されたのですが、彼も私と同様、未曾有の大災害を目の当たりにして血が騒いだらしく、方々をうろつき回っていたそうです。血まなこになって探す大人たちが気の毒に思えます。

 水害の後、何日間かは小学校が臨時休校になり、私は宿題の無い休みを堪能したのでした。


 © 2006 田中スコップ
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