一言
受験旅行 2006.11.19


 前回に続きまして私が地方の高校に通っていた頃の話です。

 高校生活も終わりに近づき私の周りも騒がしくなってきました。私もどこかの大学を受けなければならなくなりました。模擬試験等の成績を見る限り成績は惨憺たるもので、受かりそうな大学は限られています。

 私は大学など遊びに行く所だという間違った認識をしておりましたので受ける学科はどこでも良かったのですが、その当時私の親は自営業を営んでおりましたので、その関連の学科を受ける事にしました。工業系のもっとも女子が少なそうな学科です。

 女子が多い文科系の学科も受けてみたかったのですが、私の親は万が一そんなところに受かっても学費はおろか仕送りもしないと言います。たちまち受験料もないので文科系の学科を受けるのはやめました。後に社会人になって自分の近くに女性社員がいる状況になっても全然相手にされなかったので、自分がもてないのは女性がいる環境に身を置いていないないせいではないと気づいたのでした。工業系の学科でクラスに女性が一人もいなくても彼女がいる奴はいました。

 どんなに有名大学の学生であろうとも、周りにいかにたくさん女性がいようとも、もてない者はもてないのです。見向きもされません。もっとも私が有名大学などを受けても無駄ですが。

 高校の担任は私の成績を知っているので進路指導の面談でも、見放しているのか適当に好きなところを受けてみればと言ってくれます。親父も何を勘違いしたのか大手書店で売っている有名大学の入学願書を買ってきて受けろと言って下宿の部屋に投げて帰りました。

 意地が悪い高校でしたので、順位が記載された通知表は郵送で両親の元に届くようになっていました。通知表が届きそうな時は実家に帰り郵便受けを確認しておりましたが、私がその通知表の入った郵便を持ってうろついているところを父親に発見され、見せろ見せないの押し問答の末、通知表を巡って奪い合いをしたこともありました。

 休みが終わってその破れかけた通知表を学校に持っていくと担任に不審がられたこともありました。父親も私の成績が最悪であるという事を知っているにもかかわらず、なぜ偏差値の高い学校の入学願書を買ってくるのか理解に苦しみます。

 私はそのあからさまに無理な学校の願書はほったらかしにして受験の日程が近い学校を数校選び、読みもしない参考書を数札カバンに入れて上京しました。旅行社が企画する学生の宿で東京駅に近い安いビジネスホテルに連泊しました。

 今回の旅行の目的は表向きは受験なのですが、本当は雑誌で調べた東京のバイク用品屋を回ることです。

 私の学力では大学受験に玉砕するのは明らかでした。高校を卒業すれば当然予備校に通うことになると思い、わが愛車XE50で予備校に通う夢を持っておりました。毎日バイクに乗れるとさぞ楽しいだろうなと思いました。集中力が欠如している私は何年予備校に通おうと学力は変わらないとは思いますが、卒業すれば免許証は返してくれるはずです。私は間もなく再開するバイクライフのためにパーツを買いに行くと決めました。

 なぜバイクのパーツを買いにいくのか。それは親が東京に行っても困らないだけの小遣いを持たせてくれそうだったからです。日常ではまとまったお小遣いがないため、欲しいパーツが買えません。絶好のチャンスです。しかもこの機会を逃すと東京には二度と行けないかもしれません。上野のバイク街がまだ栄えていた頃でした。

 ホテルに到着してまずバイク雑誌に目を通し受験する学校の近くにバイク用品屋がないかチェックします。一日おきぐらいの受験日程を組んでいるので受験が無い日は学校の下見が済めば用品屋めぐりです。いったい何しに東京くんだりまで行っているのでしょうか。

 しかし初めての土地なのでなかなか目的地に到着する事ができません。下見で中央線の市ヶ谷や飯田橋のあたりで電車を降りて目当ての大学に向かったのですが方向音痴の私は何時間も歩いて学校を発見できず、気が付けば数駅分歩いていました。地図を反対から見てまったく逆方向に歩いていたのです。下見をしていないと当日になってそんなことをしていると受験できなくなってしまいます。

 上野から京成線に乗って千葉へ向かう途中にも受験する学校がありました。

 一人で私鉄に乗った事がなく、快速だの急行だのと様々な種類の電車があって快速料金や急行料金を取られるのではないかと思いましたが自動販売機にはそんな切符を売っていません。普通電車に乗れば追加料金は要らないだろうと思いましたが目的地に到着するまでに時間がかかりそうなので思い切って急行に乗ってみました。別に料金を取られる事はありませんでした。

 日曜という事もあり電車内は競馬場に向かう人でごったがえしていました。競馬新聞を持ち作業ジャンパーを着たオッサン達が排出するタバコの煙ででむせ返りそうでした。私は上野で席に座ったのですが駅で停車するたびにむさくるしいオッサンが増えていきます。車内もザワザワとうるさく、車内アナウンスがよく聞こえません。ある駅に到着してそこはどこなのだろうと立ち上がるとすかさず近くのオッサンが私の席に割り込んできました。気弱な私はそのまま席を譲ってしまいました。

 競馬場の駅を過ぎるとやっと落ち着いて座る事ができましたが、この電車がどこを走っているのかわからなくなり結局かなりの距離を乗り過ごしてしまいました。行き過ぎたことに気が付き電車を降りましたがそれまで電車を乗り過ごした経験が無く、駅員に切符を見られると無賃乗車になってしまうのではないかといらぬ心配をしてしまいます。

 正直に言って追加料金を払わなければいけないのではないかと思い改札にいた駅員さんに聞きました。その駅員さんは不思議な顔をして、上り電車に乗ってそのまま戻ればいいと教えてくれました。

 ホテルは夕食と朝食が付いていました。夕食には何を頼んでもいいのかと思い、初日の夕食からずっとステーキを頼んでいました。レストランの店員さんに確認してから注文したので宿泊料金に含まれているはずです。

 数日続けてステーキを頼んだのですが、ある日、別の店員さんがやって来て私がステーキを注文するとそれは別料金になると言いました。急にそんなことを言われても困ります。じゃあ今まで食ったのはどうするんだと聞こうと思ったら、奥から上司らしき店員さんがやってきてその店員さんを連れて行ってしまいました。

 私が最初にステーキを注文した時、その上司の店員さんが私の注文を聞いてくれたのですが、どうやらその人が間違えていたようです。暫くして本来ならば追加料金がかかるステーキが何事もなく運ばれてきました。冷静に考えると安い宿泊料金でステーキが食えるはずはありません。受験生のガキに騒がれては困ると思ったのか事を穏便にすませようという配慮が見え隠れします。図らずも夕食だけは豪勢な受験旅行でありました。

 その受験期間中、東京ではホテルニュージャパンで火災が発生したり、精神を患っている片桐機長が日航機を逆噴射させて墜落したりと物騒な事件が立て続けにありました。

 私はそうして数校受験した後、バイク用品屋で購入したバイクのマフラーやパーツ等を抱えて新幹線で地元に帰りました。地方の国立大学にも願書を出していましたが、到底受かるとは思えなかったので、残りの補習授業には出席せずに下宿で無為な日々を送っていました。

 数日後、受かると思っていなかった学校から合格通知が届きました。奇跡です。あてずっぽうでも選択問題には解答しておいてよかったと思いました。都会が私を誘っています。

 地方の国立大学を受験して、また奇跡でも起こって合格してしまうと当然授業料が高い都会の私学には行かせてもらえなくなってしまいます。地方の大学に行く気は更々ありません。受験の前日、私は家を出て、列車に乗り受験に行くフリをして別の駅で降りゲームセンター等で時間を潰し、何食わぬ顔をして下宿に戻って潜伏しておりました。

 親の希望する学科を受けてやったのだからそのくらいの反抗はしてもいいと思いました。

 当然のように合格通知は地方の大学からは来る筈が無いので、晴れて四月から都会の学校に通うこととなりました。



 © 2006 田中スコップ
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