一言
寒中ライディング 2006.11.05

 以前この一言で、高校の時に原付免許を学校に卒業するまで取り上げられていたと書きました。しかし私は免許を取り上げられているくせに、実は一度だけ愛車XE50に乗って公道を走ったことがありました。

 それは冬休みのこと、私は実家におりました。愛車を目の前にしていましたが公道で乗る事ができません。

 私は空しい気持ちで愛車に跨り、バッテリーが上がってしまわないようにと実家のガレージでエンジンだけかけていました。卒業まで二年以上もこの状態で我慢しなければならないのかと思うと自由に飛べる翼をもがれたようで非常に悲しい気持ちです。

 そこへ中学の時の友達が家の前をバイクで通りかかりました。

 彼の高校は原付免許の取得が禁止されていなかったので50ccのバイクなら自由に乗る事ができました。私は高校の選択を誤ったと思いました。無事に卒業さえできれば勉強などどうでも良いと思っていた私にとって自由にバイクに乗りまわす友達がうらやましく思えました。

 実家のガレージには雨をよける屋根しかなく外から容易に中を覗く事ができます。

 その友達は私がガレージにいるのを発見すると、すぐに停まって私の所に近づいてきました。私がエンジンのかかったバイクに跨っているものだから、これからどこかに行くのかとたずねました。私はバイクに跨っているだけでどこにも行く予定は無いと返事をしました。そして暫く雑談をしているうちにツーリングの話で盛り上がってきました。

 楽しい話で盛り上がるものだから、学校に免許証を没収されているとはなかなか言い出せません。結局、元旦の深夜からバイクで初詣に行く約束をしてしまったのです。その友達は私の事情を知らないまま帰って行きました。バイクに乗りたいけれど免許不携帯で捕まったらどうなるのだろうかと心配です。

 私は元旦の午前0時前、紅白歌合戦が終わって自分の部屋に帰り電気を消しました。そして一旦寝たフリをして、靴とヘルメットを持って窓からそっと家の外に出ました。そしてガレージから音を立てないようにゆっくりとバイクを押して道路に出ました。両親の部屋は電灯がすでに消えています。

 家からかなり離れた所でキックペダルを踏んでエンジンをかけました。そして友達が待っている場所に行くと、数名の原付仲間がすでに集合していました。その当時、原付はヘルメットの着用義務が無かったのですが私を含めみんながヘルメットを被っています。意外と真面目にバイクに乗っているようです。

 元旦の深夜、初詣ツーリングの出発です。冬の風は身を切るほど冷たく、少し走ると体が凍えてきました。私にはこんな寒い時期に走った経験がありません。格好を気にしてあまり厚着をせずに家から出てきたので外気は想像以上に冷たく感じ、走り出してしばらくすると途中で帰りたくなってしまいました。

 私は冬の深夜の気温を完全にナメていました。上はボタンダウンのシャツとトレーナーにジャンパー、ズボンはジーパンだけでタイツのようなものは下に履いていません。首の辺りから容赦なく風が入ってきてジャンパーの内側を吹き抜けて熱を奪っていきます。フトモモに当たる風は冷たいと言うより痛いといった感じです。他の連中も似たような格好をしていたので、私と同様、寒いのを我慢しているようでした。

 初詣に行く神社までは普通に走って約一時間かかります。

 国道を走ること二十分程で屋根つきの自動販売機コーナーがあります。みんな我先にそこへなだれ込みました。そして暖かい缶コーヒーを買って凍えた手を温めます。そして今まで走行した時間と同じくらいの時間をかけて休憩をしました。脱いだヘルメットをハンドルにかけていましたが休憩中の僅かな時間でそのヘルメットには薄っすらと霜が降りていました。

 そうやって路肩に広い場所があるたびに休憩ばかりするものだからかなり時間が余分にかかります。その神社に近づくにつれ自動車で来る初詣客で渋滞してきました。

 我々はバイクなので横を涼しい顔で……、いや、かなり寒い顔ですり抜けていきました。

 沿道には正月の深夜にもかかわらず交通整理のために警察の方々も多数出動しておられます。

 すり抜けという違反項目はないようですが、警察から難癖をつけられると追越し違反とか安全運転義務違反、割り込み等の理由で停止させられそうです。しかしおとなしく自動車の列で止まっていると、神社に到着するまでに夜が明けてしまいそうです。私は止められて免許証の提示を求められたらどうしようかと内心ビクビクしながら自動車の間を抜けて行きました。

 沿道に佇んでいる警察の方々とは何度か目が合ったりしたのですが、寒そうな高校生の原付集団を止める気配はありません。紅白歌合戦を見た後、各方面から一斉に神社めがけてやってくる参拝客で渋滞はピークに達し、警察も原付のバイクなどにかまっている余裕はないようです。

 余程目立って周りの車両に迷惑をかけていないと停められそうにありません。根性がありそうな警察の方々もさすがに寒そうです。

 薄着の体は冷え切っています。ゴーグルをかけていましたが口の周りは露出していたので何かをしゃべろうとしても口が思うように動きません。軍手をしていましたがそんなものは防寒の役には立たちません。一時間以上も寒風にさらされていたので指先の感覚がなくなりつつありました。

 神社に到着してからバイクを降り、ガタガタと震えながら本殿に向かおうとしましたが、途中にドラム缶で焚き火をしているところがあったのでみんな吸い寄せられるように焚き火の周りにフラフラと近づいていきます。誰も早く本殿に行こうと言う者はいませんでした。

 焚き火に当たっていると脳みそが溶けて鼻から出てきそうです。焚き火の暖かさで体の硬直が緩みます。格好を気にせず雨合羽でも着てくれば良かったと洟をすすりながら後悔しました。しかしいつまでも焚き火に当たっているわけにもいかないので賑やかな参道の階段を登り本殿の前に行きました。

 賽銭箱に十円入れてガラガラと鈴を鳴らし手を合わせましたが、特に年頭の抱負など考えていなかったのでとりあえず「謹賀新年」と頭の中で唱えました。帰りに階段を下りる最中、「免許返せ」と祈ったほうが現実的で良かったかなと思いました。

 それからみんなと愛車を停めた場所に戻りましたが、誰もすぐには出発しようとはしません。時刻はすでに午前三時から四時ぐらいだったと思います。来た時に増して寒さが激しくなっています。この気温の中でバイクに乗って帰るのは勇気がいります。しかしいずれは帰らないといけないので渋々エンジンをかけ、走り始めました。

 帰りも路肩に停車できそうな場所を見つけるとすぐに止まり、自分のマシンのエンジンに手をかざし暖をとります。

 家に近づいてきたので友達と別れ、家に到着する手前でエンジンを切り、家族にわからないようにバイクを押して帰宅しました。私は窓から家に入り冷たい服を脱ぎ捨てジャージに着替えて布団にもぐりこみました。暫くの間、歯がガチガチと鳴ってなかなか寝付けませんでした。

 家族の者は未だに私が元旦にそのような行動をとったという事を知りません。

 さらにその時、私が免許不携帯でバイクに乗っていた事を知っている者は私以外では誰もいません。まるで完全犯罪です。

 それから私は高校を卒業するまで愛車を封印したのでした。


 © 2006 田中スコップ
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