一言
バイク免許 その1 2006.09.10
 
 高校生の頃の話です。

 高校一年の一学期にはバイクの免許を取得してもいい年齢に達したので夏休みまでには免許を取って、バイクを乗り回す予定でした。

 私の通っていた高校は田舎ではありましたが駅が近くにありバス等の交通機関も比較的充実していたので、バイク通学は禁止されていました。もちろん免許を取得するのも禁止です。別の高校に行った中学校の同級生が近所でバイクを乗り回しているのを見て、高校の選択を誤ったと思いました。

 私は小学校の頃から親から小遣いを貰うと「オートバイ」や「ヤングマシン」、「モーターサイクリスト」、「モトライダー」等のバイク雑誌を買って読んでおりました。そしていつでもバイク免許が取れるように中学校にあがると○×式の学科試験問題集を買って勉強をしておりました。免許取得年齢に満たないガキがそんな問題集を買って帰るのは本屋のおじさんも不思議に思ったに違いありません。すっかりバイクマニア予備軍となっていたのでした。

 私の頭の中ではカワサキZ2やマッハV、ホンダCB750等のビッグバイクを手足のように乗りこなす想像をしていましたが、実際のところまだスーパーカブにも乗ったことはありませんでした。私は親元を離れ、下宿をしているのをいいことにこっそりと教習所に通うことを決意しました。私は親から仕送りを貰っていて、毎月決まった額を貰っていたのですが切り詰めればなんとかなりそうな金額だったので、高校入学時からへそくりをしておりました。その当時中型二輪免許の教習費用が四万円ぐらいだったと思います。

 私は夏休み前に教習所の申し込みをしました。その教習所は私が通っている高校がバイク禁止なのを知っているはずですが、相手も商売なので特に何事もなく入所できました。たとえ学校に通報されても数日謹慎させられるだけで反省すれば辞めさせられることはないだろうと、現在の私以上に気楽な高校生でした。

 学科の教習は教室に座っていればよかったので楽勝でした。そしていよいよコース内で実際に乗る実技教習の時間です。バイク雑誌を隅から隅まで読んでいる私にとって、実技も楽勝だと思っていたのです。教官が、

「とりあえず乗ってみろ」

 と言うので私は自信満々で教習車のホンダCB360Tにまたがりました。しかしそこから何をやっていいか分らないのです。教官はクラッチを切ってエンジンをかけろと言いました。クラッチは左と覚えてきていたので、左手でクラッチを握り、セルボタンを押してエンジンをかけました。私の股の下で剥き出しのエンジンが排気音とともに振動をしはじめました。教官は約十五メートル先にあるコーンを回って元の場所に帰ってくるように言いました。

 今まで雑誌で見るしかないものに実際触れている喜びを感じ、雑誌で覚えた通り、左足でギアを1速に入れました。そして左手のクラッチを離すとバイクはエンストしました。私はこんなはずではないと思い、もう一度クラッチを切りエンジンをかけました。横で教官が、

「もっとアクセル開けてクラッチをつながないとまたエンストするぞ」

 と忠告してくれました。私は言われたとおりアクセルを開けてクラッチをつなぎました。その途端、バイクの前輪が地面から離れ制御不能となりました。半クラッチという概念がなかったのでエンジンの回転を上げていきなりクラッチをつないでしまったのです。冷静に考えるとすぐにアクセルを緩めて後輪のブレーキをかければよかったのですが、私はパニックになってバイクにしがみついているだけで何もできませんでした。そして二十メートル程私を乗せたバイクは迷走をしたのち金網のフェンスにぶつかり転倒して止まりました。幸いなことに私は膝の擦り傷程度ですみました。バイクも大きなバンパーがついているのであまりダメージはなかったようです。

 教官は慌てて近づき、

「大丈夫か」

 と言いながら私が無事なのを確認すると、

「君には中型二輪は無理みたいだね、ここに教習に来る子は大概一度は友達や先輩のバイクに乗って練習してくるから君もてっきりバイクに乗れるものだと思っていたよ。いきなり大きいバイクは無理だから小型にすれば?」

 と私に小型二輪の教習をするように勧めてくれたのですが、あまりにも恥ずかしいのでそれっきりその教習所には行きませんでした。しかしまだバイクに乗ることを諦めていませんでした。

*** この話は次回に続きます。乞うご期待 ***
 
 © 2006 田中スコップ
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