一言
ピーナッツ 2006.06.10

 私は殻つきのピーナッツが好きと言うわけではありませんが、私の中ではピスタチオ、天津甘栗に並ぶ、食べ始めると止まらなくなる食べ物です。

 殻を剥くという作業が、食べるという行為の前に行われるというのは非常にじれったいですが、殻を剥いている僅かな時間があるからこそ、香ばしいピーナッツを食べるという期待感を膨らませているのだと思います。そして殻を剥く作業に対する代償として、僅か二粒ないし、一粒、事によると空っぽという事態もあり余計に次のピーナッツを食べたい欲求に駆られてしまうのではないでしょうか。

 しかも、ピーナッツには殻を剥いてもなお茶色の渋皮が立ちふさがり、私に向かって更なる皮剥きという試練を課しているにもかかわらず、黙々と作業をしてしまいます。

 食べ始めて相当な時間が経ち、もうやめておかないと鼻血が出るぞと思い始めても手が勝手に動いてなかなか止まりません。まるで長い坂道をブレーキが壊れた自転車に乗って下っているようなものです。私はこの現象を「ピーナッツ慣性の法則」と勝手に名付けます。

 食べるのを止めたいと思っているときに、つい薄皮ごと食べてしまうことがあります。食べ始めた最初の頃は丁寧に剥いているのですが、もういらないと思い始めていても次のピーナッツを剥いてしまうので、面倒くさくなって薄皮ごと食べてしまうのです。冷静に考えると渋い皮がついたピーナッツは旨くありません。そんなにしてまでピーナッツを食べる必要はないと思います。

 殻付きピーナッツを食べていると当然、かなりの体積のゴミが発生します。テーブルの上に少し広めの新聞の折込広告を広げて殻を剥きますが、近くに手ごろな広告が無い時は、スーパーのナイロン袋をテーブルの上に広げて、それに手を突っ込んで殻を剥きます。そうすればゴミも散らばらず、片付けるのに便利です。

 ところが、スーパーの袋の中で殻を剥いた場合、手が滑ってせっかく剥いたピーナッツの粒を落としてしまい、ナイロン袋にたまった殻のなかに紛れることがあります。そのまま捨ててしまってはもったいないと思い、ゴソゴソと探すのですが、大量の白いピンポン玉の中に白いゴルフボールが一個混ざっているようなもので大変紛らわしく、なかなか見つけられません。

 あったと思って手に取るとピーナッツの薄皮だけだったりします。結局諦めて次のピーナッツを剥き始めることが多いのですが、ゴミを捨てるときに慎重に袋からゴミだけ捨てていくと、いちばん下のほうに大抵二、三個転がっているので、少し得をした気分になります。袋に中からピーナツを見つけ、ゴミ箱の前にナイロン袋を持ってしゃがみ、幸せそうな顔をしてピーナッツを食っています。

 
 © 2006 田中スコップ
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