一言
まな板の鯉 2006.04.03

  一年ぐらい前まで地元商工会の青年部長をやっていました。こんないいかげんな人間が、何人もいる青年部員のまとめ役が務まるのだろうかと心配していたのですが、リコールの声も上がらず、何とか二年の任期を終えることができました。他の市町村の商工会にはやる気満々で青年部長を引き受ける人も中にはいると思いますが、私の場合はそんなに人望も厚くなく、青年部員を引っ張っていく自信もありませんでした。

 しかし、私が最年長だったこともあり、年功序列でトコロテンのごとく後ろから前へ押し出された格好で引き受けざるを得ませんでした。青年部長を受けてからは、なんだかやたらと用事が増えて家を空ける事が多くなり、家族からも、どうせ遊びに出て酒を飲んでかえってくるだけだろうから、いい加減にしろという苦情が何度も噴出していました。

 そういう役を受けてしまうと自分の能力の範疇を超えるような場所にも、時として招待される場面がありました。当時、市町村合併論議のまっただ中にいたということもあり、他の青年団体いっしょにと大きな会場でパネルディスカッションにパネラーとして呼ばれて発言をしなければいけなくなりました。

 私は市町村合併といわれても住所が変わるぐらいの認識しかなかったので、合併後の市町村がどうあるべきかとか、まるっきり考えていませんでした。わからないことはいくら考えてもわからないので他力本願作戦を試みてみました。誰か青年部の中で私の代わりに出てくれる人いないかなと思って探してみましたが誰も自分からやらせてくれと言う者はいないし、冗談でも言っているのだろうと相手にしてくれません。

 私は本当に人前で話すのが苦手です。その日だけでも急用が出来てくれないかと祈っておりましたが、そういうときに限ってパネルディスカッションを断るに値する用事なんかはありません。安易に断ってその時間帯にフラフラしていると、誰に見つかるかわかりません。

 仕方がないので周りの人に意見を聞いてみました。誰も自分に降りかかった問題ではないので、めいめい好き勝手に熱っぽく語ってくれます。そんなに言うことがあるなら代わりに出てくれよと思いましたが、そんなことを言うと誰もが口を閉ざしてしまいそうなので、ありがたく参考にさせてもらいました。

 会場に行って舞台の席につき、幕が開きました、満席ではないものの、かなりの人数が集まっています。地元のケーブルテレビもカメラを構えています。口の中に溜った唾を「ゴクリ」と飲み込みました。その時点で頭の中が真っ白です。箇条書きにしたメモに目を落とします。

 講習や講演会でこういう会場に観客として行くときは、程良い暗さと静けさで席に着いたとたん意識を失い、深い眠りについてしまうのですが、舞台の上だとそれどころではありません。平静な顔をしていても心臓がバクバクで、手に持っているボールペンがブルブルとふるえています。

 コーディネーターが私に話を振って来ました。いかんせん人から聞きかじった心にもないようなことを言うので、言葉が自分の身についていません。ガトガチのしどろもどろです。規定時間内で何度も同じようなことを言ったような気がします。

 パネルディスカッションが終了して、幕が降りると、ドッと気が抜けてしまいました。

 後日、近くのショッピングセンターに家族と買い物に行ったとき、テレビが重なってたくさん設置してある中央広場を通りかかると、なんと自分がテレビに出ているではありませんか。たくさんの画面に私が映っています。しかも時々顔のアップが映り、髭の剃り跡まで見えています。あたりは騒がしく、音声はよく聞こえませんでしたが、自分がテレビの中で何かしゃべっています。

 心の中でやめてくれと、叫んでいました。しかし画面の中の自分はスーツを着て小綺麗な格好をしていたので、ショッピングセンターにいるヨレヨレの普段着のおっさんがまさかテレビに出ているとはだれも思わなかったらしく、私の存在に気付いた人はいなかったようです。椅子に座って休憩している人は画面の方を向いているだけで、テレビに誰が出演していようと意に介していない様子でした。

 現在私はその役を降りて、平穏な毎日を送っています。なかなかありえない体験をさせてもらいました。そういう経験をした私ですが、学習能力が足りないせいか、今でも人の前で話すのは非常に苦手です。
   
 
 © 2006 田中スコップ
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