一言
無銭飲食未遂事件 2006.02.25

  かなり昔の話です。駅のホームにある立ち食いそば屋でのこと。その立ち食いそば屋にはまだ券売機はなく、直接店員に支払うシステムの店でした。

 私が店の前を通りかかるとおいしそうなソバの臭いと香ばしい天ぷらの臭いがしていて、ちょうど小腹も空いていたので、食べていくことにしました。

 店に入ると仲の良さそうなおばさんとおじさんが二人でカウンターの向こうにいました。私が入っても気付いていないのか、二人で話ばかりしています。中途半端な時間だったので客は私一人です。私は二人に向かって、

「あのー、すいません。天ぷらソバください」

 と注文しました。こちらが声をかけたので二人は私に気付いたようでした。

 おばさんは手際よく天ぷらソバ作って私の前に置くと、横のおじさんとまた話を始めました。

 天ぷらソバといっても、ソバの上に乗っかっているのは小エビと野菜のかき揚げで、まだ揚げて時間が経っていないようで、サクサクと香ばしい状態でした。おつゆも私好みの透明感があってダシがよく効いています。そのダシが細いソバに絡まって、いくらでも食べられそうなぐらい、駅の立ち食いソバにしては非常に秀逸なソバでした。

 私はそのソバを夢中で食べて、おつゆも最後まで飲み干しました。カウンターの奥ではまだ二人がおしゃべりをしていました。私は空になったドンブリをカウンターの上に置き、

「ごちそうさま」

 といいました。奥から二人の声が聞こえてきました。

「ありがとうございました」

 そのまま二人はまたおしゃべりを始めていました。

 私もそのまま、店を出て駅の乗り換えホームに向かっていきました。

 約五十メートルぐらい歩いて駅の階段を降りていると、ハッと気付きました。ちょっと待てよ、さっき自分は金を払うのを忘れて店を出たような気がする。階段の途中で止まりました。

 このまま払わなかったら無銭飲食になってしまう。私は振り返って後ろを見ました。追っかけてきていないようです。多分私がこのまま行ってしまっても、彼らは私が金を払い忘れていることに永遠に気付かないかもしれません。しかし仮に、彼らがすぐに気付いて、警察にでも通報されると、たかがソバ一杯で前科者になってしまいます。私はそのソバ屋まで引き返しました。

 店に入ると、まだ二人は無駄話をしています。本当に気付いていないようです。おばさんが私に気付き、私を不思議そうに見て、言いました。

「忘れ物ですか」

 私は、

「あの、お金を払うのを忘れて出ちゃったみたいなんですけど」

 と言うと、二人は顔を見合わせて、びっくりした表情をしてこちらを向き直し、おじさんが言いました。

「あっ、そうだったっけ。ごめんね。こっちも忘れてたわ」

 私は天ぷらソバの料金を払うと、ホームを歩いていきました。あの人たちは、このままあそこで商売を続けても大丈夫なのか。いけないとは思いつつ、損をしたと思ってしまいました。しかし自分で気付いているのに無銭飲食をしてしまうと、あとでずっと後悔をしてしまいそうだったので、あれで良かったのだと思います。

   
 
 © 2006 田中スコップ
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